零れ落ちる前に。

その時々感じたことを、零れ落ちる前に。

東日本大震災から8年。東北復興支援をして考えたこと

2019年3月11日。

「あの日」から8年の月日が流れました。やはり、昨日のトレンドはこの話題で埋まったし、テレビも特番が組まれ、新聞も同様でした。それまでは全然話題に上がらなかったのに。そして今日からはまたちょっとずつ忘れ去られてしまうのかなあと思うと複雑な気持ちになります。まあ実際のところ、日々の生活に忙殺されて思い返すこともままならない、というのは皆そうだと思うし、難しいことなんですけどね。自分も常に考えられているかというと、そうでもないので。

 

8年前の私は中学生でした。地元は東北からは遠かったため、幸い何の被害も受けることはなかったのですが、家に帰ると母が食い入るようにテレビを観ていたことは今でも鮮明に覚えています。映画を観ているのか? と思ってしまったほど、現実味の無い津波の映像。延々と街や人が流される地獄絵図に、恐ろしくなって直視できませんでした。

 

とはいえ、それから4年間はこの震災について考えることはなかなか無くて。実際に体験していないというのは大変幸運だったと思うのですが、そのためいつしか震災のことを忘れ去ってしまっていたのでした。というのも、自分にとって遠い国の出来事のように感じていたからなんですよね。同じ日本で大変なことが起こっているというのに、どうしても身近に感じられないという。苦しんでいる人がいる手前こんなこと思っていたというのは、今思えば恥ずかしいことではあるんですけど、やっぱり行ったことない場所に思いを馳せるってのはなかなか難しい...。

 

月日が経ち、大学入学。何か新しいことがしたいと思っていた私は、とあるボランティアサークルに興味を持ちました。なんでも、東日本大震災の復興をお手伝いするスタディツアーをやるとか。しかも、2泊3日で1万円。これはお手軽だな...と書くと疚しいですが、最初は軽い気持ちで行ってみようと決めたのでした。この年は震災から4年後。報道は当時よりだいぶ減ってきている頃で、今の東北はどんな感じなんだろうという気持ちがどこか心の片隅にあったんですよね。

 

そして5月、初めて岩手県陸前高田市に赴きました。2日間を通して行ったのは、農作業のお手伝い、市街地付近の語り部バスツアー、仮設住宅にお住まいの方々との足湯を通した交流、といった内容。何もかも新鮮でバタバタとしていた記憶がほとんどなんですけど、やはり実際に東北へ足を運び、目で見て、耳で聞くというナマの体験は衝撃の強いものでした。

 

特に印象深いのは、陸前高田市の市街地の様子。かつて道の駅があった場所には、中身がグチャグチャで剥き出しになった道の駅本体と、資料館、黙とうをするための小屋がありました。国道45号線沿いにかつて栄えていたらしい街並みは跡形もなく、ポツリとその3つの建物が並んでいるだけだったのです。この衝撃も凄かったですが、個人的に何度行っても見てしまうのが、資料館内で見られるかつての街の姿。運転しながら映された街並みが延々と流されているだけのビデオなんですが、ついさっき通ってきた何もない街並みがつい4年前まではこんなに栄えていたのか、と思うとただただ絶句するしかありませんでした。

 

takanavi.org

 

勿論これだけではなく、沢山の経験をしたのですが、その辺りを書き始めると長くなるので割愛。今回は、その後4年間陸前高田市に行き続けた1人として、これまで考えてきたことをつらつらと語りたいと思います。

 

 

 

 

陸前高田市の「今」

まずは、震災から8年経った現在、陸前高田市がどんな様子なのかということについて。先に書いておきますと、私が主に訪れたのは中心市街地と海沿いのとある町なので、市内全域の状況を把握しているわけではありません。あくまで私が見て、聞いて知ったことの範疇でお伝えしたい。

 

先ほど、市街地のことを「何もない街並み」と書きましたが、厳密にいうと少し違います。2015年、私が初めて訪れた際、頭上には長い橋のようなものがたくさん横たわっていました。「希望のかけ橋」というベルトコンベアです。

 

https://tohkaishimpo.com/2016/05/17/105518/

 

平成26年3月末から稼働したコンベヤーは全長約3キロで総工費約120億円。約1年半で運ばれた土砂は500万立方メートルで、かさ上げに必要な1200万立方メートルのうち約4割を運んだ。10トントラックで運搬すると約9年かかる作業を、コンベヤーの導入で約2年半に短縮できたという。

【東日本大震災】役目果たした希望のかけ橋 岩手・陸前高田 - 産経ニュース

 

本来ならば来年までかかったであろう市街地の盛土を、たった4年半で終わらせたベルトコンベア。このお陰で工事は次の段階へと進むことができました。「何もない街並み」というか、盛土が敷かれた街並みだったわけです。そして現在、高台に市街地(というかショッピングモール)*1が形成され、海沿いは復興祈念公園を作る工事に着手している状態です。このように書くと「おお、だいぶ進んでるじゃん」と思うかもしれません。や、実際ここ4年間で大きく進んでいるとは思います。でも、高台から陸前高田市を見渡し、資料館で見たかつての街並みの映像と照らし合わせると、「いつになったら元のように活気あふれる街になるのだろう?」と不安に思わずにはいられないのです。

 

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こちらが昨年の夏ごろに撮った写真。奥の方に見えるのが震災後にできた防潮堤、奥の中央辺りに小さく見えるのが、先ほど紹介した道の駅「タピック45」です。本来ならば奥の方に市街地が見えるはずでした。というか、こんなに景色が見通せることはなかったらしいんです。少しずつ工事が進んでいるという実感は、現地に足を運ぶたびに感じられるのですが、この景色に見慣れてしまうと「いつになったらちゃんとした街並みができるんだ...?」という不安感に駆られてしまいます。

 

報道される被災地のイメージと比べ、復興が進んでいるか、進んでいないか。どう感じるかは人それぞれですけど、まずはこの街並みの現状について知ってほしいなと思います。

 

  

「かわいそう」「避難者」「被災地」

市街地などといった「モノ」の復興について書いたのだから、「人」の復興についても書かなくてはならない。そうは思うのですが、この辺りの問題は人それぞれでデリケートなお話なので、深く書くことは今回は避けたいと思います。本当、明るく元気な方もいらっしゃいますし、冷たく当たってこられる方もいらっしゃって人それぞれ。何かしら悩みを抱えている、という点では共通しているんですけどね。特に、居住地の移動によるコミュニティ再編に関して、悩みを抱えている方が多い印象。元々持っていたご近所付き合いが津波で無くなり、仮設住宅住まいで数年かけてやっと付き合いができてきたけど、また公営住宅に移住することになってさあ大変。もう疲れたよ。ざっくり言うとそんな風。

 

陸前高田市の話から転じて、本日参加したイベントでお世話になった方について書こうと思います。イベントについては後述しますが、その方は福島から私の地元に避難し、8年前から居住することになった方です。同じく福島から移住してきた人々と共に、同じ境遇の人を助けようと、団体を立ち上げました。その団体が主催のチャリティーイベントが毎年3月11日に行われており、私の所属する団体も参加したわけです。 

 

その方が今日話していた言葉が印象的でして。彼は福島からこちらに移住し、慣れない生活を送りながらも何とか元気を取り戻してきたのですが、その事情を他人に話すといつも「かわいそう」という声をかけられたのだとか。辛いとは思っていても、自身のことを「かわいそう」とは思っていない。けれど、「かわいそう」と声をかけられ続けることで、いつしか「自分は「かわいそう」な人間なんだ」と思い込み、自己肯定感が低くなってしまったそうです。

 

そのような意識は「避難者」という言葉にも見られ、「避難者だから上手くいかないんだ」といったように、何をしていてもその言葉が重石となって自分を押し潰してくる。このままじゃ駄目だと思い、「避難者」という言葉は避け、「応援者」という単語を団体内で積極的に使うようになりました。福島「避難者」の会ではなく、福島「応援者」の会。この言い換えに、お互いを励まし合いながら、前に進んでいこうという思いが込められています。

 

結局ここから何を伝えたいのかというと、東日本大震災などといった災害と、その災害に遭われた人々に向き合う際は、言葉の使い方に気をつける必要があるということです。何気なく報道を見た時に、「かわいそう」といった言葉が口をついて出てくる方はいると思います。でも、その言葉が時に相手を傷つけたり、相手の自己肯定感を削いでしまったりすることがあるのです。「避難者」もそうですし、私としては「被災地」という言い方も該当するのではないかと思います。東北は「被災地」なんだ。そう言い続けていては、いつまでも東北の人の心は復興へと向かわないと思うのです。

 

 

 

明るい話題を通して

本日私が参加したチャリティーイベントでは、福島から移住してこられた方々の当時の記憶が語られたり、黙とうをしたりといった、復興イベント「らしい」内容の催しが行われました。実際こういう形で過去を振り返ることは大事ですし、今後も続けていくべきだと思います。でも一方で、そういう「らしさ」から一歩脱却できるような内容の催しも必要なのではないか。そう思い、私たちの団体からとある試みをさせていただきました。

 

それが、岩手の郷土料理つくり。岩手県南部で各家庭に伝わる「なべやき」という料理を、地元の食材を使って作り、ふるまおうという企画です。「鍋焼きうどん」とは全く関係なく、小麦粉と砂糖を使って作るパンケーキのようなおやつですね。

 

medianow.jp

→ケンミンSHOWでも紹介されてたらしい

 

 

大抵は白砂糖(or黒糖)、小麦粉にクルミをトッピングして作るんですが、そのレシピを少しアレンジ。こちらの地元で採れたかぼちゃや紫いもを練り込み、小麦粉ではなく米粉を使うなどして、オリジナル「なべやき」を作りました。通常の「なべやき」ももちもちとした食感なんですが、更に「THE米粉!」なもっちり感がプラスされ、野菜の甘味を引き出す美味しい仕上がりに。お客さんからも好評でした。ありがたい。

 

この料理を振る舞うことになった理由は2つあります。1つは、岩手と私の地元における「つながり」を、食という形で具現化するため。こちらのレシピ、実際に陸前高田のお母さん方に教わって、一緒に作って食べたんですよね。かぼちゃと紫いもも持ち込みして。それを更にこちら側で振る舞うことで、岩手と地元と「つながり」を濃いものにしよう、という。食を通した共演をしよう!という意図があります。

 

もう1つは、岩手に明るいイメージを与えるため。震災が起きて以降忘れがちですが、岩手は「被災地」である前に岩手なんですよ。それぞれの県に良い所があるように、岩手にも明るい面はたくさんある。微力ではありますけど、岩手の郷土料理を県外の人に食べてもらうことで、「ああ、こんなに美味しいものがあるんだ」ということを知ってもらいたい。そんな思いを込めて作りました。

 

明るい話題を通して東北を知り、伝えていく。シンプルなことながら、「復興」へと向かうためにはこういった行動も大事なのではないかと思います。

 

 

 

おわりに

とりとめもなく書いてきました。東北について考えたり書いたりすると、やっぱり言いたい事は全然収まらず、そして結論にもなかなか辿り着けないなあと毎度思います。こちらのブログで触れるかどうかは迷ったんですけど(普段のノリと全然違うし!)、せっかくブログという発信できる場があるなら書いておくべきだなと思いキーボードを叩いている次第。今後も機会があれば、現地で学んだことをお伝えできたら良いなあ。

 

4年間の大学生活の中で、東北へと行き続け、本当に沢山のことを考えました。「被災地」という印象が強い現地の人々とはどう接するべきか。この出来事を風化させないようにするにはどうすればよいか。現実的な話でいうと、バスツアーの資金をどのように確保していくかといった問題も。他団体では支援の打ち切りが続いており、私たちの団体もいつまで続けられるかわかりません。

 

一番悩んだのは、「復興のゴールとはどこか?」という団体の根幹にかかわる話。部員間で何度も議論を重ね、結論は出ないままになっている課題です。どこまでいったら「復興」と言えるのか。街並みが活気あふれる状態になったら? 全ての人が元気になったら? 建物の工事が終わる、とかならわかりやすいですが、人間の精神面に関しては本人にしかわからないことですし、いつになったら傷が癒えるのか? と問われるともう一生背負ってしまうレベルなのではないかとも思います。そう考えると、「復興」という言葉も注意を払って使うべきだなと。「復興完了」と政府が唱えても、生活が不安定な現地の方々は沢山いらっしゃるのです。

 

一応団体としては、「当初から支えてきている町内の人々の心が癒えるまでは支援しよう」という方針に落ち着きました。ボランティアは手が届く範囲の人を親身に支えることができる立場。自分の手が届く範疇から脱してしまうと、自分も壊れかねません。手が届く範囲で、支えることが大事だから、という理由で、こういう方向に落ち着きました。しかし、やはり「どこまでいったらその人たちは「復興」するのか」というのは難しい問題です。

 

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結論が迷子になりましたが、とりあえず最後にひとつ。皆さんには是非、東北の「今」を知ってほしいです。現地に行くのが難しいならば、現地に行った人から話を聞いたり、イベントに参加したり、またはネットで色んなニュースを調べてみたりと、手段は様々です。3月11日にしか伝えられないテレビの特番よりも、もっとたくさんの情報を知ることが出来ると思います。

 

私の団体は現在も学生を連れてバスツアーを行っていますが、参加者の中には「まだガレキが横たわっていると思った」という感想を残す人がたくさんいます。現地を見ている立場からすれば信じられない感想ですけど、まだまだ2011年当時のイメージで止まっている人はたくさんいるのです。

 

まずは東北の「今」を「知る」。その第一歩が大切です。そこから、色んな学びや気付きを得て、考えてほしいなと思います。

 

 

 

 

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*1:アバッセたかたという大型ショッピングモール。マイヤという地元のスーパーや市の図書館に加え、居酒屋や飲食店など様々な店舗が集ってきている。防潮堤からはだいぶ離れた高台にある。アバッセたかた