零れ落ちる前に。

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Base Ball Bear『Grape』〜夏と秋の狭間で、意味のある圧倒的見つめる〜

Base Ball Bearの新作EP『Grape』が、9月4日(水)より各種ストリーミングサービスにて配信が開始された。

 

www.baseballbear.com

 

 

DGP RECORDSという主宰レーベルを立ち上げ、第一弾EP『試される』を発売してから7ヶ月弱。早くも新曲を浴びることができる喜びに心躍る9月。3ピースバンド・Base Ball Bearの更なる進化を見た作品だった。

 

 

『Grape』配信開始前の時点で驚いたことが2つある。1つは今作の媒体があくまで「配信」であり、円盤はツアーのグッズとしてのみ販売されるという、中々挑戦的な試みである。「CD」という媒体で発売されることに拘ってきたバンドが、全国流通を取らないという選択をしたことにまず驚いた。

 

とはいえ「配信」としては全国流通しているので、全く聴けないわけではない。むしろCDよりも手に入りやすく、今の時代に特化した手法である。

しかし、これだと「紙ジャケットからディスクを取り出し、プレーヤーに読み込ませ、歌詞カードを片手に一音一音を楽しむ」という古来からの楽しみ方ができない。「それをしたきゃツアーに来い」という挑戦状を私達は突きつけられたのだ。主催レーベルじゃなきゃできない試みである。

 

第二に、タイトルに驚かされた。「檸檬」という果物を青春や若さ、夏の象徴として幾度となく取り上げてきたBase Ball Bearが、「Grape」すなわち「葡萄」をチョイスした。そして、4曲を通して「秋」を描くことに臨んだ。どんな心境の変化があったのか、気になってしょうがなかった。

 

もちろん彼らが描いてきたのは夏だけではないが、全体としては「夏」が良く似合うバンドという印象が強く、実際に夏を感じる楽曲を多く生み出している。そんな彼らが「秋」をパッケージングすることに対して、期待に胸が高鳴った。うだるような暑い夏よ、早く終わってくれないか。そう願ったりもした。

 

 

そして、9月がやってきた。「あ、少しずつ涼しくなってきたなぁ」と思いながら帰る夜道に、紫色の瑞々しい果実が小さい画面の中に並んだ。その果実を模った逆さまの電波塔にニンマリとしながら、封切られた新鮮な音と詞に耳を傾けた。

 

 

 

 「いまは僕の目を見て」

 

 

 

いまは僕の目を見て

いまは僕の目を見て

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Base Ball Bear - いまは僕の目を見て

 

 

まず、タイトルにドキリとした。文章調の題には「すべては君のせいで」を彷彿させるが、今回の場合はこちらに語りかけてくるようで、架空の「僕」へ見つめ返したくなる。「僕」が見ているのはあくまで「君」なのだけれども。

 

再生ボタンを押して早速耳に入ってきたのは、爽やかでジャキジャキしたギターリフ。ああ、ベボベだなあとどこか懐かしい気持ちになり、例の如く一瞬で心を奪われた。

直近の「試される」は骨太のギターが印象的で大好きなのだが、ベボベらしさが強いのはどちらかと問われたら、迷わずにこちらを選ぶ。瑞々しさ、爽やかさ、涼しさといった色んな清涼感が、私の聴覚を包み込む。

 

歌詞については想像通りというか、「僕」と「君」についての詩的で具体的なお話が描かれていた。美しいと感じた「君」に対する思いが、「僕」の胸の中で渦巻き続けるけれども、なかなか伝えられない。だけど、伝えられない分だけ、思いはどんどん増していく。どうしようもないけど、いまは僕の目を見て。

 

う~ん、もどかしさにニヤニヤしてしまう。男子諸君なら誰もが一度は抱いたことのあるであろう、もどかしい恋心。伝えたら終わってしまうんじゃないか、という焦燥感。色んな複雑な気持ちを、季節感を乗せながら楽曲としてパッケージングする小出祐介の手腕に、毎度驚かされる。この男はどれだけ歳を重ねても、心に淡い青春を飼っている。

 

 

今回印象的だったのは、「言葉」を「穴の開いた軽い砂袋」と表現したところだ。「言葉」の中に含まれるさまざまな感情を「砂」とし、それらは伝える前に「かなりこぼれてしまう」。「足元に砂溜まり」ができてしまうほどに、伝える頃にはこぼれ落ちてしまっている。それはとても残念なことだけれども、「大切な残りもの」だけは君に届けて、「本当を感じて」ほしい。切実な「僕」の気持ちがひしひしと伝わってくる、素敵な比喩表現だと思う。

 

しかし、全編に渡ってこの表現が使われているわけではない。かなり具体的な「僕」や「君」の行動の方が、むしろ印象的に聞こえてくるのがこの曲の特徴だ。

 

2題目の頭で「雨けむる窓」に「水玉の手紙」を書いた「僕」。窓に書かれた「切実な4文字」は水分を伴うものであり、砂袋や砂とは結びつかない。だがそこがかえって、4文字の切実さを醸し出している。その4文字は「すきです」なのか、「LOVE」なのか、はたまた「君」の名前なのか。結局わからないけれど、頭の中に浮かぶ「僕」の姿にキュンとくる。

 

他にも「心と心をつなぐケーブル」のくだりや、「食べ物がおいしいじゃん」という可愛らしい「君」の台詞など、世界観に没頭できる秀逸なフレーズが山ほどあるが、個人的に一番好きなのは、女の子の台詞シリーズとして繰り出された「ほほう」だ。

 

かつて「不思議な夜」という曲で、終電を逃した夜にはしゃぐ「君」が「ん?」って顔や「わあ」って顔をしたことがあった。実際この鍵カッコ内は「君」の口から出た言葉ではないのだが、歌詞カードを見た私の心は「君」に釘づけになった。括弧付きの台詞はキュートで愛らしくて、心を射貫く力がある。

 

秋空を割っていく飛行機雲を見た「君」が呟いた「ほほう」。たった3文字だけど、強烈なジョブである。小出の声を通して出力された言葉なので、実際に「君」が呟いた「ほほう」はどんなものだったのかわからない。聴き手によってかなり違ってくると思う。

私にとっての「ほほう」を言葉で表現することは難しいから、胸の内にしまっておきたい。ただひとつ言えるとしたら、秋空の下に響いた3文字は、とてつもなくキュートだった。

 

 

 

 

「セプテンバー・ステップス」

 

 

セプテンバー・ステップス

セプテンバー・ステップス

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「もうたったったったと去ってく夏」。冒頭のフレーズの軽やかさに、自然とステップを踏んでいた。「たったったった」とか「やってってって」とか、意味の無い語感があまりにも自由だ。

 

「9月の歩み」と訳される通り、時期は9月。季節として区分すれば秋である。しかし、今ちょうどこの時期を体感しているからこそわかるように、9月はどちらかというと「季節の変わり目」だ。

 

夏の暑さはまだ残っており、秋の涼しさは夕刻になると徐々に感じ取れる。そんな微妙な季節だからこそ、「オータム・ステップス」ではなく「セプテンバー・ステップス」なのだと思う。夏から秋へのステップとしての、9月。

 

歌詞の中でも随所に現れる「夏の残り香」が、今の時期に聞くからこそひしひしと伝わってくる。「爽やか寂しい」青空、「二人占めの夜の匂い」、「永遠 遠 遠の7・8月 元気でもどこかかなしい」。

 

「君」と共に歩んだひと夏の輝かしい思い出が過去のものとなっていく寂しさが、秋の到来と絡めて語られる。クリアだけどどこか切ない音色が、より寂寥感を強調する。

 

この「夏」と「秋」の対が堪らなく切なく突き刺さる一方で、曲調はダンサブルなのが大変良い。夜の公園でひとり踊ってみたくなる。寂しい匂いをたっぷり含んだダンスミュージックなんて、好きにならないわけないじゃないか。

 

サビが終わるたびに挟まれるドラム・ベース・ギターのキメもバッチリだ。あんまり最近のベボベでは見ないタイプのアレンジだなと思ったら、4曲目の「Grape Juice」とこの曲はドラムの堀くんが作曲したらしい。基本小出作曲なバンドなので、このチャレンジに新たな可能性を感じた。

 

 

寂しさにしんみりしながら軽快なリズムにステップを踏んでいると、2題目の冒頭で大きく場面転換が起きるシーンがある。グレープとグレープフルーツっておんなじだと思ってた!と、下らないことで笑っていた日常から一転、友達から聞いた話で彼の心の内はこう綴られる。

 

 

「摘み取ったグレープバインに 募る色はYellow どろどろの」

 

 

 「Yellow」と聞くと、否が応でも「二十九歳」に収録された「yellow」が浮かぶ。「人前に出てくことで生きてきた君」を僕が奪い、一夜の逢瀬を楽しんだ時に、都会を照らしていた色が「yellow」だった。この時からこの色は、禁忌/不貞を暗に意味するものとして(あくまで私の中で勝手に)印象付いている。

 

グレープで笑いあった瑞々しい「君」との日常が、「どろどろのYellow」に染まってしまった。そうして夏は終わり、9月を跨ぎ、10、11月がすぐやってくる。単に切ないだけでなく、大人の重さが乗っかった暗い詞だなと思った。繰り返すが、こんな暗い歌詞をダンサブルなリズムに乗せるからこそ、この曲の唯一無二の魅力が醸造されていると思うのだ。

 

 

 

「Summer Melt」

 

 

 

Summer Melt

Summer Melt

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パワーコードのバッキング、シンプルな4つ打ち、ゆったりとしたベース。4曲の中でもっとも引き算が為された楽曲だが、これを成り立たせるようになったところに、3ピースバンドへのこなれ感が伝わり嬉しくなる。

 

歌詞も短く、余白が沢山あって、聞き手の想像力を刺激する。後に触れるが、「Grape Juice」の「意味のないその中に意味のある圧倒的見つける」とはこういう事なのだろう。意味や解を見つけるのはあくまで聞き手の私たちなのだ。

 

 

「そして氷は溶け続ける」と繰り返されるフレーズで、コーヒーの氷とともに夏が溶け続ける。「君」との別離に対するしこりを感じる曲として、「セプテンバー・ステップス」と方向性は同じだけれど、こちらの方が純愛感が強く、情緒的だ。

 

「眩しい想像がこびりついてる」僕は、すぐに「君」のことを忘れることはできないだろう。だけどグラスの中の氷が透明へと近づいていくように、夏が終わり秋が始まったように、少しずつ気持ちは溶解していくのだ。そしてきっと、次の「恋感覚」を見つける。

 

本日、日比谷野外音楽堂にて「日比谷ノンフィクションⅧ」が催される。「Grape」の新曲が全て披露されるのはおそらく今日がはじめてだ。

 

ちょうど夏と秋の狭間、夕方から夜に入る時間帯にかけて行われるこのライブ。空が暗くなってきた頃に1番聴きたいのはこの曲だ。ほのかに銀杏の香る秋の野音で、しっとりと、淡々と歌われる「Summer Melt」を聴き、夏が溶けていく様を見るのが楽しみでならない。

 

 

 

 

「Grape Juice」

 

 

Grape Juice

Grape Juice

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第一印象は「疾走感!!!」 スピーディに駆け抜けるロックソングはここ最近のベボベではかえって珍しい。

 

最近でいうと「光源」の「逆バタフライ・エフェクト」「SHINE」もそこそこテンポは速い方だが、どっしりと構えている印象があった。特にサビで感じる勢いに任せて突っ走る感じは、「PERFECT BLUE」に乗せて夏を突っ切る時のような爽快感がある。

 

堀くんが「い"く"そ"ぉ"〜〜!!!」と高らかに宣言してカウントする姿が容易に想像できる、ライブ映えしそうな楽曲だ。

 

歌詞については、まずAメロのフレーズが全て動詞で締めてるところが目につく。

 

「没入して踊る」「点滅が暴れる」「不自由な自由に溺れる」「スリーポイントを決める」「記憶・理想がこびりつく」...といった具合に、特に繋がらない一文が淡々と歌われる。

 

こうして一文ごとに事実を告げられた後、「爆音で音楽浴びさせて」と、突如願望が告げられる。「Tabibito in the dark」の「踊れ」のように、一瞬で場面転換する豪快な一手だ。また、「爆音」という言葉、小出祐介の口からあまり出なさそうな(いい意味で)華の無い感じが、サビの詞へ説得力を与えているように思った。

 

そして、大好きなサビだ。今作を聴いて1番震えたのはここである。まず「甘いジュースをごくごくして」の「ごくごく」が物凄く良い。

 

「ごくごく」というちょっと可愛らしい擬音を、疾走感のある楽曲に与えることで、音やテンポ、そして味にまでアクセントが加わっているように思う。聴覚や視覚だけでなく、味覚まで刺激してくれる音楽って素晴らしくないですか。

 

続いて、「ギター」「ベース」「ドラム」という楽器名が投入されるのは、「ポラリス」と同様で驚くほどでもないが、「でかい」「ひくい」「はやい」という形容がつくことで、彼らの演奏する音への愛着が増し、よりのめり込むことができる。少しバカっぽいところも吹っ切れててなんかイイ。

 

そしてこれらの「意味はわからないけどなんかイイ」という感覚が、最後のキラーフレーズへしっかりと紐付く。1題目では「意味がないその中に 意味のない圧倒的見つける」、2題目は「意味がないその中に 意味のある圧倒的見つめる」。

 

そう、別にこの曲の詞には文脈的な意味はない。特にハッキリと伝えたいテーマや、世界観が存在するわけではないのだ。Aメロで描かれる各カットが、2小節ごとに切り替わることがその証左だと思う。

 

だけど、私達聞き手が「意味のない圧倒的」や「意味のある圧倒的」を見出す。それが音楽ってものではないだろうか。

 

曲が作り手の元を離れると、数多に存在する聞き手がそれぞれの解釈を見出し、自分の経験と照合して思い思いに感慨に耽る。明確に意図を伝えようと作られた曲でさえも、受け手によっては別の解釈で受け取られることもある。良くも悪くも、音楽の意味は聴き手に委ねられるものだ。

 

そんな音楽のあり方を逆手にとったこのキラーフレーズ。「ここまできたかぁ」と、個人的にかなり響いてしまった。「意味のないその中に見る」ものが、具体的な言葉ではなく「圧倒的」と表現されるのも良い。これは既に手垢がついてしまった流行り言葉、「エモい」の言い換えと言ってもいいのではないだろうか。

 

 

 

Grape

 

Grape

Grape

 

 



他にも言いたい事は沢山あるが、この辺りでやめておこう。今ちょうど日比谷ノンフィクションⅧのグッズ待機列に並んでいるが、横からベボベのリハが音漏れしまくっており、「Grape Juice」が爆音で堂々と流れている。これ以上書くのは野暮だぜ、と何だか言われているような気がしてきたので、筆を置きたい。

 

今日の日比谷でもまた、新たな発見がたくさんあるだろう。それらを純粋に、たっぷりと楽しみたい。「甘いジュースをごくごく」するように、夢中で音楽に溺れよう。夏と秋の狭間で。