度重なる自粛によって楽しみを奪われる苦しい日々が続く昨今ですが、オタクの皆さん元気ですか。生きていますか。私はギリギリ元気です。
バスツアーでできたオタ友と遊んだり、色んな新規映像を大量に摂取したり、企画展やコラボデザートのために遠くまで足を運んだり、グッズへの出費に精を出したり......。ライブを封じられた今、自分でも驚くほどオタ活を積極的に行うようになりました。外出を控えなさいとお達しが出ているのにも関わらず超アクティブなのはぶっちゃけ問題ですけど、まあ対策はちゃんとしてるし許してくれ。動かなきゃ気が済まん。
さて、こぶしファクトリーの解散が迫ってきました。3/30のラストライブに関しての発表は未だありません。他のグループのライブが軒並み無くなっていく中、この日だけは確保しようと事務所の大人たちが頑張ってくれている様が見て取れますし、今は信じて待つしかない状況。3月のリリースイベントや個別が無くなった影響もあり、何かしてないと落ち着かない....
ということで、『JKニンジャガールズ』を観ました。
『JKニンジャガールズ』とは、こぶしファクトリー主演の演劇作品。忍者の末裔である8人のニンジャガールズの内、東京の平和を守るJKニンジャガールズと、彼女らの座を奪おうと企てる大阪のなにわニンジャガールズが敵対し、様々な障害を乗り越えながら成長していくハートフルコメディー。こちらは舞台版のストーリーで、映画版はまた異なる。この違いが後に自分を苦しめることになるのだが...。
舞台版、映画版ともに天下のTSUTAYA渋谷店様にさえ取扱無しというレア盤、というほどでもなく、Amazonやタワレコ渋谷、その他各種店舗で販売していました。諭吉がいれば何でもできるので円盤2枚など怖くない。
観る直前の作品に対する認識は「東京のJKニンジャガールズと大阪のなにわニンジャガールズと分かれて互いに競い合い、切磋琢磨しながら、世を忍んで悪を斬るヒロインもの」。特オタ的に『忍風戦隊ハリケンジャー』と似たような青春活劇なんだろうなと勝手に思っていました。完全に疾風流vs迅雷流の構図だし。
なので最終的に東京と大阪が手を組んで、悪を打ち破る物語だろう!と思っちゃったわけです。話の途中で和解するとして、果たして討つべき敵とは誰なのか。カラオケ店員の矢島舞美さんが実は店員に扮する敵の女幹部なのかな?大阪のサリーちゃんも怪しい。それとも東京のラスボスが本当は黒幕で、悪から作りだされた偽りのヒーローがジェケニンなのかな?その衝撃の事実を知り打ちひしがれるも、自分達の守りたい者を思い出し、真のヒーローとして立ち上がる激アツ展開かな??
そう思ってました。違いました。
忍者が主役だからっていつからヒーロー物だと錯覚していた......?
いや実際、舞台版ではカッコイイバトルシーンが沢山ありました。元々カッコいい楽曲だと認知していた「闇に抜け駆け」というヒーローソングを、東京vs大阪の最終決戦というこれ以上ない場所で流す神采配だったり、殺陣...という程本格的ではないけれど、それぞれが得意とする武器を用いて戦うジェケニン達にはヒーロー映画のクライマックスを彷彿とさせましたし。
また、浜浦彩乃演じる東京ジェケニン・霧隠ノエルと、井上玲音演じる猿飛家の末裔・猿飛ノゾミが敵同士ながら友情を深め合う様は一番の収穫。語尾に「~おじゃる」をつけるテスト3点のお馬鹿ニンジャだけど、友情に熱く発言に芯が通った霧隠ノエルちゃん、戦隊レッドのスカウトが殺到するレベルで赤赤してる...。あれはベタだけど最高のキャラ造形です大好きです。
だからこそ、ノエルは後に偉大な父との確執が起き、苦悩しながら友情パワーで乗り越えていく展開とか、一人で犠牲になろうとするところを仲間に止められ、救ってきた分の恩返しをされる展開とか、カタルシス爆発ポイントを期待していたのに......
JKニンジャガールズ、何が驚きかって敵がいないんですよ。そもそもの認識が違ったのがここ。舞台版では大阪の忍者が悪だくみしてるから東京の本支部で止めようっていうけれど、悪だくみの内容は実際しょうもないものばかりだし、結局のところ内輪揉め。最後まで悪といえる悪は登場しませんでした。幼き頃から一流のジェケニン目指して生きてきたという割に、隠密行動を活かす先の悪事が見当たらない。下らない内部抗争のためにニンジャになるって忍者の親からどんな教育受けてきたの?
舞台版を観終わった時、『続きは劇場版で』のディケイド方式で真の敵(忍者オヤジーズ)と戦うのが映画版なんだろうなと予想して観始めましたが、舞台との繋がりは一切無く、なにわニンジャガールズが消滅して代わりに忍者オヤジーズが入っただけでした。か、改悪。はまれいの物語がはま温水の物語に歴史修正されるなんて......。
オヤジーズ自体も生理的に気持ち悪いだけで、根が邪悪ではないし、オヤジーズもただの同業者。結局のところニンジャガールズの守る愛と平和っていうのはかなり小規模なもので、真の邪悪は存在しなかったのである。まあ、ハートフルコメディーつってんだからそれで良いんですけどね。舞台版がそこそこ真面目なテイストだったので、途中から謎の期待押しつけをしてしまっていた。
さっき舞台版軽く見返したけど、2作でテイストだいぶ違くない?これだから東映は......
キャラ付け正解、世界観も正解。間違ってるとするなら、ストーリーラインの中途半端さ。ギャグならギャグで、シリアスならシリアスで、といった具合に突き抜けてほしかった。しかしそれでは尺が足りない。色々考え抜いた挙句、辿り着いたの結論がこれでした。
浦沢義雄とは:シュールな不条理コメディを書かせたら天下一品の大御所脚本家。鍋に喋らせたり野生の車が現れたりマゾなロボットが登場したりと基本的に頭がおかしい。ボーボボもこの人が書いてる。MOVIE大戦アルティメイタムが一番最近関わった特撮作品だと思うが、オチの癖の強さに他の記憶が全て飛んだ。ポワトリン...。
「給料19万3000円でどうして宇宙の平和を守らなきゃならないの!?」と初変身前に言っちゃう戦隊
下山健人とは:浦沢氏の弟子。浦沢氏レベルのパンチがないとはいえ、様子のおかしいエピソードを設ける手腕は流石。『ジオウ』の人だと思うとまともに見えるが、『手裏剣戦隊ニンニンジャー』を観終わったら認識が変わると思う。おでん戦隊。というか俺は浦沢氏のエグみに苦手意識を感じることが多々あるので下山氏のマイルド寄りなトンチキコメディが好き。
大和屋暁とは:此方も浦沢氏の弟子。銀魂の脚本家、というのが世間一般の印象かと思われるが、戦隊ものでも名(迷?)エピソードを連発している。ルパパトのレオタード回とキツツキ回が近年では名刺代わりになっている。トッキュウジャーではクール枠の横浜流星をけん玉探偵に仕立て上げた。
彼らギャグ脚本家の布陣を固め、各支部のニンジャ同士のしょうもない内紛をユーモアたっぷりに描き、ときにシュールに、ときにホラーチックに、ときにハートウォーミングに1年間全51話かけて続ければ、子どものハートを鷲掴みにし、大人のカルト的ファンに一生かけて爪痕を残し続ける作品になったのではないだろうか。
舞台版、映画版ともに、『JKニンジャガールズ』は真面目な青春活劇としても、シュールギャグ寄りの作品としても中途半端だと思う。個性豊かなキャラクター達もイマイチ活かせないまま幕を下ろされた印象が強いのだ。何というか、鑑賞後、「お前たちならもっと高みを目指せたのに......!」と涙ながらにインタビューに答える地区大会敗戦校の監督みたいな心境になってしまった。采配を誤ったのは紛れもない監督なのだけれども。
下山脚本であれば任務そっちのけで大食い対決を始める百地イブちゃん・杉谷アカネちゃん・山岡アリスちゃんのエピソードがあったかもしれないし(BGMはもちろん「パチモン粉もんなんぼのもんじゃ」)、大和屋作品であればクールな服部ココアさんが他支部のニンジャの術によって奇行に走るような話もあっただろう。浦沢脚本の手にかかれば、どんなぶっ飛んだ作戦が出たか想像もつかないが、石川ラブリさんや篠山ミサさんが大変な目に合うことは容易に想像できる。意思を持った扇風機とのお見合いをするとかそういう感じの。
とりあえず、舞台版のノエルとノゾミの話をエピソード0として、そこから珍道中を始めるような作りでお願いします。映画版で悲しかったのは、彼女らがただの見知らぬJKに格落ちしてしまったことなので...。
とかね。映画版には「ドリンクを運んできて「Juice=Juiceです♪」と言うだけのカラオケ店員・宮本佳林」みたいなチョイ役ハロメンズがたくさん登場したので、彼女らが別支部のニンジャとなり、ジェケニンの元に現る刺客に扮して、下らない闘争を続けるような構成でやれば1年はやれるでしょ。オタもキッズも鷲掴み。土曜朝にジェケジェケニンニンガルガルガール。
トンチキな作風だからこそ、可能性は無限大。今日も「誰かを守りたい」と大義名分を掲げながら、真面目に不真面目なジェケニン達がわちゃわちゃし合う物語が永遠に続いている世界線を妄想するのでした。エエジャナイカ、ニンジャナイカ。
あと最後に一言。服部ココア様、好きです。