零れ落ちる前に。

その時々感じたことを、零れ落ちる前に。

生きている音がする

・2021年11月11日。文化祭の結成日からきっかり20年の今日、中野サンプラザにてBase Ball Bearの20周年ライブ兼アルバムツアー初日公演が行われた。すっかりチケットを購入したことを忘れていた私は(マジで身に覚えがなさすぎるんだが天からのギフトですか?)なんとかタスクを終わらせて俺たちの中野に向かった。昨日悶々としてた引越し関係の重荷は一転して綺麗に解決したぜイエイ

 

周年ライブということさえ失念していたけど、心底来てよかった。「イヤホンなんていらない」と思える帰路につけたら「素晴らしいライブだった」という証拠だ。誰かにとってのV6が、自分にとってのベボベだと、最近V6の解散ライブを見たばかりだから痛感する。自分の人生を併走してくれるバンド。そんなかけがえのない存在に出会えただけで、幸せな人生だと思える。

 

新譜『DIARY KEY』は、特に現在の私にフィットする価値観が全編に横たわっている。日々の生活によく馴染む。ほしかった言葉をかけてくれる。24/7いつだって寄り添ってくれるような作品。でも、ただやさしいだけじゃなくて、小出さんのシビアな死生観もうっすらと、しかし確かに漂っている。渋いグルーヴが小出さんの言葉の力をさらに強固にし、ダイレクトに届く。

 

しかし、やっぱりライブは良い。生を実感する。3人の力で鳴らされる生音が曲の持つ力を何倍にも増幅させ、心の臓へ届く。身体をゆらゆらと揺らして音に応える。音が鳴る。ゆれる。音が増える。さらにゆれる。交換の繰り返し。「ライブ」とはこういうことなのだと、一番信頼しているミュージシャンが再び教えてくれた。2年前に会った時から様変わりし、分断が進んだ世の中に生きているからこそ、音と身体とのつながりから生まれたかすかな希望をより大切に抱きしめる。

 

20年という時の巡りを愛おしく大切なものとして語った小出さんが鳴らした「新呼吸」。元々大切だった曲がさらに大切なものになった。スポットライトを一身に浴びたロックスターのやさしいアルペジオに泣かされた。〈それでも僕は信じれるかなぁ/この一分が、この一秒が、明日への伏線になってくと〉という言葉がより鮮明に眼前に届く。こんな世の中でも、信じていたいなぁ。

 

 

 

そっからの「生活PRISM」でvalkneeさんとベボベの相性が良すぎて沸いた話とか、「ドライブ」が沁みて潤んだ瞳でステージを見つめることしかできなかったこととか、20年前の文化祭にタイムスリップしてSUPERCARの「My Way」を演奏するというまさに「続けたもん勝ちですな」な瞬間に立ち会えたこととか、あ、あと「ドラマチック」はライブ用の小出イントロでそろそろ再録してよお願いってこととか色々言いたいことだらけだけど、明日も早いので、あとひとつだけ。

 

『DIARY KEY』の終盤に配置された「海へ」という曲。アルバムで聴いたときは「いい曲だな~」くらいに思っていたんだけど、生音で聴いたらベボベマイベストを塗り替える傑作ぶりでひっくり返った。俺の葬式に流してくれよ、ってくらい大切な曲になった。鐘のようなイントロが鳴った瞬間から様々な記憶、感情が頭の中を駆け巡った。そのままその場で直接受け止めた歌詞の美しさに震え、一語一句噛みしめるように受け止めた。

 

 

さよならは言わなくていいよ

失くしたものにも どっかでまた会えるのさ

かなしみも連れていくよ

それでいいんだ 終わらない予感は消せない

いつでも響いているよ

 

こんな詞/詩を紡いだあとに、「ドライブ」で〈生きている音がする〉と歌うんだから、小出さんへの尊敬が止まらない。21年目も、30年目も、40年目も、その先も。いつまでもよろしくお願いします。

 

・適当に見つけたラーメン屋にてあっさりした豚骨スープにほかほかした後、帰路についた。しばらくしてTwitterを開くと、本屋大賞のノンフィクション大賞に選ばれた「海をあげる」の著者・上間陽子さんのスピーチ映像が回ってきた。この本を読んだときのえもいわれぬ痛みを思い返しながら、電車の中でじっと聞き入る。やさしくほんわかした語り口に乗せられた怒りと絶望がずしりと響く。現実に横たわる問題から目を背けずに生きていかなければならないな、と思う。

 

 

希望をもらったり、絶望に打ちひしがれたりしながら、生きていく。