零れ落ちる前に。

その時々感じたことを、零れ落ちる前に。

ブログに精を出す

長らく失われていたブログへの熱意を取り戻したい。

 

初期の頃に課した縛りを解くためにハードルを下げていく作業を続けてきたが、その結果熱意が搾りかすのようになってしまった。書き溜めはいくつもあるが、完成に持ち込むまでのキツイ作業に耐えきることができない。忍耐力も創造力も弱ってきている。ただでさえ元から無いのにね。

 

このまま放置していくといずれ死に絶えてしまう予感がする。そうはしたくない。這いつくばってでもこの場は残したい。閑古鳥が鳴くような状態にあろうとも、更新し続けたい。春の暖気で重たくなった頭にふと浮かんだ僅かな欲望を熱源にし、簡単な決意表明を記す。

 

元々特撮ブロガーとして名を馳せている結騎了氏に倣って開設したブログだが、気付けば氏とはまったく異なる道を歩んでいる。オリジナリティを見つけた、などという大層なものではない。様々な憧れの断片をかき集めていたらなんか違うものができました、くらいの感覚。それでいいとおもう。これからもきっと、さらなる変質を遂げていく。その変化を楽しみたい。楽しむためにも、続けたい。

 

縛りを課すとまた面倒になってしまうのはあきらかであるが、すぐ飽きてもいいから設けたい縛りがある。SNSで更新通知をしないこと。しばらくこれでやりたい。リンク共有やブクマなど他者による拡散はまったく構わないが、自分からは更新通知を出さない。いいねやRTの数に頭を持っていかれるのがもう疲れたからだ。さして跳ねないとわかっている記事を載せたときでさえもインプレッションに一喜一憂するようになってしまった。Twitterの改悪により、数値はさらに可視化される。マーケティング戦略は加速する。もうさすがにくるしい。10年Twitterに浸かってしまった私の脳はもう強制できないのはわかっているが、些細な抵抗として実践してみようとおもう。それよりも、ごくまれに、奇跡的に生み落とされる、たまたま読んでくれた見知らぬ人の感想を大事にしたい。

 

そんなわけで、更新頻度をすこし上げながら続けてみる。考え方はすぐ変わるとおもう。それでいい。

 

 

【近況】

井の頭恩賜公園へお花見にいった。ちょうど桜が見頃で、天気も非常によかったため、人だかりができていた。普段は閑散としているボート場にも長蛇の列ができており、池全体が大量のスワンボートで埋まっていた。ほぼ渋滞でもボートを漕ぎたいと欲する人の愚かさを横目に、自らも憐れな群衆の一部となった一日。どちらかというと「Withコロナ」派としてやってきたので、今の世界は「コロナ前に戻った」ではなく「コロナを経て変質した」と捉えているが、そんな変質した世界の大々的な花見大会は、何とは言えないがどこか新鮮だった。道中ですれ違った人が高校時代に仲良くしていた後輩と酷似していたが、声はかけられなかった。LINEでも送ってみようかと思ったけれど、風情がない気がしてやめた。偶然の確認は逃したら逃したままでいたい。あと、たぶん違うだろうし。

 

Podcastの最新回を録った。久しぶりに一人語りand無編集。注意深く話しても「あの~」は多いし、読み間違いも多い。『今夜すきやきだよ』のあらすじ紹介で、あいこを「女の人」、ともこを「女の子」と意図せず差異をつけてしまったことを特に反省している。訂正すればよかったんだけど、テンポが崩れてしまうと思い流してしまった。あと逆に「ダブポエトリー」を「ポエトリーダブ」と言い換えたら前者で正解だったという痴態も晒した。全部恥ずかしい。

 

プレイヤーとしてあるまじき行為だが、ビッグバンドサークルに所属していたとき、自分の演奏を聴き返すことがほとんどできなかった。その時の反省を今更活かすなど遅すぎるが、Podcastにフィードバックの時間を設けるようにした。

 

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・今年の読書記録を取ってみたら、3ヶ月で6冊読了していた。年間で10いくかいかないかの自分にとって大きな進歩である。図書館で借りた本を1冊でもいいから期限内に読み切るという目標もクリア。欲張って10冊借りても1冊も読み切れないのが日常茶飯事なので、ちょっとはマシになった。あとは、じっくり腰を据えて感想を書く時間をつくりたい。先日読了したショーン・フェイ著『トランスジェンダー問題』は一読しただけでは整理し切れない著作だったため、長い時間をかけて噛み砕きながら整理したいと思った。いまはまずそういう根気が欲しい。スピードは二の次だ。SNSで身につけてしまった正確さを欠いてでも早く反応しようという反射神経を見直していくことが今の私に必要だと考える。そういったリハビリとしてのブログもありかもしれない。