零れ落ちる前に。

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『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』雑感

Vシネクスト『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』を鑑賞しました。いつのまにかアニバーサリー作品にだけ姿を現す平成の地縛霊に成り果ててしまった…。これもすべて乾巧って奴の仕業なんだ。

 

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あらすじ

園田真理、草加雅人、海堂直也、菊池啓太郎の甥・条太郎らは、旅に出た啓太郎の後を継ぎ、「西洋洗濯舗 菊池」を営んでいた。彼らはオルフェノク殲滅を目論む政府直属のスマートブレイン社に対抗し、「オルフェノクと人間は共存できる」と信じて、若きオルフェノクのヒサオ、コウタ、ケイを匿いながら日々を過ごしていた。そんな中、ヒサオの前に、スマートブレイン所属のオルフェノク殲滅隊隊長・仮面ライダーミューズが立ちはだかる。ヒサオを守るために駆けつける一同。混戦の最中突如現れたのは、かつて姿を消した乾巧だった......。

 

雑感

・『555』独特の重々しい空気感が随所に感じられ、20周年記念のファンサービス作品としては及第点だが、盛り込まれた新要素にノイズが多く、今一つ乗り切れないまま終わってしまった。インターネットで大不評の『復活のコアメダル』の方がまだ続編として楽しめたかな...。

・一番ノイズだったのが、仮面ライダーミューズこと胡桃玲菜の存在。あまりにも物語にとって都合の良い存在で、魅力を見出す前にサクッと亡くなってしまったのが残念だった。真理がオルフェノクに覚醒するようわざわざ仕組むくらい巧への執着を見せる割にはあっさり切り捨てるし、かと思ったら土壇場で「逃げてほしい」と真逆のことを言い出す。エゴイスティックなキャラクターにしても、もう少し言動の動機が見えてほしい。節回しがアニメ的すぎるというそもそもの違和感を度外視したとしても、なぜ他者のまなざしに妙に敏感なのか、なぜ真理を簡単に犠牲にできるほど人間、オルフェノク問わず他者に関心がないのか、なぜ乾巧にだけは執着するのか...など、せっかく敵ライダーとして登場させたのだから掘り下げてほしかったところが多々ある。

・若者たちの造形もアニメっぽくて世界観とのミスマッチ感が拭えない。尺がないのは理解するが、海堂らに拾われた経緯とか、戦闘シーンでの活躍が少しでもあれば感情移入できたのになあ。ヒサオの人助けを厭わない好青年っぷりと(通報婆酷えな!)草加に全信頼を預ける危うさは結構いい線いってたので使い捨て勿体無い。良い奴から先に死んでいく。

・死んだはずの北崎と草加の正体を散々引っ張った挙句「アンドロイドでした~!」はいくらなんでも唐突。草加に至ってはデコにスマブレロゴを生やすクソギャグをかましたかっただけだろ!愛情の向け方間違ってない!?村上さんはこんな杜撰な扱いをされて納得してるの??『555』本編のアンドロイド要素って、強いていえばスマートレディがそれっぽいよね...くらいで他に全く覚えがないので無から生えてきた感がすごい。政府直属になっておかしくなっちゃったのかな。人間とオルフェノクよりもさらに高次な存在として位置付けるのに丁度良いのはわかるが、唐突感を払拭できるほどの説得力はなかった。しかし草加は相変わらず人望がなく、既に死んでいたことが明らかになっても全然悼んでもらえなくてかわいそう。

・澤田編オマージュの手術~帰宅シーンや、木場さんオマージュの真理飛び降りシーンはあの頃の空気を感じてゾクゾクした。ただ、殺意を視覚的に示す必要はなかったと思う。芳賀さんの声の演技で真理の変貌を十分に表現できていた。あの日の木場さんにはスマートブレインの怪しい大人たちしかいなかったけど、真理には巧という心強すぎる味方がいる。楽観的に見えても心が不安定になることは今後幾度となく訪れるだろうし、それはきっと巧も同じ。海堂ら含め、食卓を囲みながら支え合って少しでも生き長らえてほしいな。

・「オルフェノクの記号」周りの設定をあまり覚えていないため、人工的に因子を活性化させて無理矢理オルフェノクに変えるなんてできるっけ!?という20年越しの衝撃。超全集とか読めばわかりますかね...。

・たっくん...というかたっさんの貫禄が出過ぎてて、教室で真理と二人になるシーンは面白が勝ってしまった。巧の思いが明かされる重要な場面だが、語り口が少し説教臭くて『仮面ライダー1号』の藤岡弘、がよぎったし、20年経て成長したにしても、かつてのぶっきらぼうな彼とは似ても似つかない。これでは乾巧というより「半田健人」ではないか...。アニバーサリー作品なので役者の自我を出すくらい別にいいだろと言われればそう。前段に「マヨネーズを買って帰る約束を律儀に覚えている乾巧」という乾巧濃度の高い描写があったから落差を感じたのもある。「巧らしさ」でいえば、手垢まみれの「なぜ主人公は敵側に回ったのか?」の解を「いつもの如くウジウジしてたから」にしたのも「それそれ~!」って感動した。うん、やっぱり教室での台詞はちょっと浮いてる!

・そして例の情事。怪人間のセックスシーンが新鮮で、こちらも少々面白が勝ちかけたが、巧と真理が行為に及んだこと自体には特に違和感を持たなかったし、むしろ良いシーンだなと思った。性行為をした=恋に落ちたという図式が必ずしも成り立つとは限らないし、あのワンシーンで巧と真理がこれまで保ってきた距離感は崩れないと思う。真理は巧と離ればなれになってしまった喪失感で長らく苦しんでいたし、そこにオルフェノクになった衝撃と殺人を犯した自責が重なり、自死を選ぶほど気落ちしていた。そこに達観した言葉を浴びせてきたため当初は反発したが、ふと漏れ出た「助けてくれ...」という本音は、彼女がよく知る巧の弱さであり、その言葉を聞いた瞬間数十年押し殺していた感情がワッと溢れ出た。お互いの癒えない傷や抑えきれない感情の行き場として、セックスを選択するのは決して不自然な流れではない。そして、その行為が恋に至るものかそうでないかはあとから判断されるものだ。作品内でそれを結論づけずに二人の一歩踏み込んだ関係を描いたのはとても良い塩梅だったと思うし、東映作品でそんなことできるんだ!と感動すら覚えた*1。だってほら、いつものパターンだとすぐくっつけるじゃん...。

・これは雑な解釈だが、ずーっと草加からあのような陰湿なアプローチをされ続けたらそりゃ巧を抱きたくもなるわい!とも思ったり。草加は性的同意の概念をちゃんと学んでください。もちろん首折られた方の草加もね!

・『RIDER TIME 仮面ライダー龍騎』の手塚と芝浦ほど直截的ではないが、明確にセックスを示す表現が『555』の"映像作品"でついに描かれたことは何だか感慨深い。元々そのような場面があってもおかしくない作品だったし、ノベライズでは当然のように描かれてきたからである。しかも、敏樹が描きがちな残忍な性加害描写ではなく、同意の元で行われた愛情表現で、行為の主体は主役格の二人ときた。もし『555』でセックスシーンが描かれるとしたら、草加オルフェノク絡みの残忍な場面で暴力的に表現されるだろうという偏見があったから、死の恐怖を払拭し生にしがみつこうとするような肯定的なセックスが描写されたのがなんだかうれしい。半田さんが公開前のインタビューで監督に直談判したシーンがあると答えていたのはこの場面なのかなー。元々の脚本では過剰に弱々しい姿を見せて強引に真理に迫る巧が描写され、それは違うだろう!と阻止した、とかだろうか。あるいはもっと直截的な表現だったのかもしれない。結果的に巧と真理の関係は守ったまま行為が成立し、その代わり前段に講釈垂れたっさんが挿入されたのかもしれない...という邪推中の邪推。

ネクスファイズは「やっぱり俺はこっちで行くぜ!」のための前座感。そりゃあ旧式はカッコいいししっくりくるけど、ネクストもイケてるんだぜ!って画で示してほしかった。アクセルフォームの謎空間はダサいし、変身用のスマホがシニア向けかってくらいデカくて片手で操作できないのもなんかこう...。印象に残ったのはミューズの予測AIくらいか。

・真理のオルフェノク態は仮面ライダーナーゴのようなイケメンネコチャン。普通に好きなデザインなんですけど篠原先生なのか...?クレジットを見逃した。オルフェノクのデザインは20年経っても全然古くないしむしろ新しい。

・真理のオルフェノクジョークはらしいっちゃらしいが余韻ぶち壊しである。8割オルフェノクの食卓だからってよう...。ウィザードの九官鳥回(ゼツボウダー!)クラスの無神経さであった。啓太郎がいたら「真理ちゃんそれは酷いよ!」ってマジレスしてくれたかもしれないが、残念ながらツッコミ不在である。「生命線伸びてんじゃん!」の方は許せる部類です。

・次回作の布石としてアンドロイド草加社長と延命措置が施されたオルフェノク達が残されたわけだが、そんなことより永遠の命を得た冴子さんと王の近況だったり、おそらく今もしぶとく生きているであろう琢磨くんの日常の方が気になるのであった。

 

 

 

 

だいぶ愚痴っぽい感想になってしまった...。好きなところは好き、嫌いなところは嫌い、という率直な感想を引き出し、オタク同士であーだこーだと言い合えるような、東映らしいいつも通りの作品だった。オーズほど解釈が割れて荒れることはないのではなかろうか(復コアをめぐるオタク共の暴走は許してません)。閉鎖された当時の公式サイトに唐橋さんが「いつか『仮面ライダー555 2』でお会いしましょう!」なんてことを書いてらしたことをずーっとうっすら記憶していたのだが(頑張ってWebアーカイブを辿れば見れるはず)、本当に叶う日が来るなんて思いもしなかったな。変な作品だし言いたいことは山ほどあるが、ウジウジと悩みながらも日常を重ねていく人間臭い彼らの姿を再び覗くことができたのは嬉しい限りです。

 

 

*1:ただ海堂の「一発ヤらせときゃこんなことにならなかった」は普通に下品ですが...。モノ扱いすんなし。