零れ落ちる前に。

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感想『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』 待ち受けていた「いつかの明日」と、尽きることのない欲望。

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』、公開初日に鑑賞してきました。こんなに特撮オタクだらけの現場は久しぶりだったので妙な緊張感が。『オーズ』を愛する者たちが、ある者は期待に胸を躍らせ、ある者は不安で気が狂いそうになりながら、いち早くこの地に集ったことを思うと感慨深くなります。頼むからみんな、手握ってて…。

 

 

 

※以下全てネタバレになります。未見の方はどうか何も読まずに劇場へ向かってください。

 

 

 


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時は2021年。割れたタカメダルのコアが元通りになり目を覚ましたアンクは、荒廃した世界を目にする。突如復活した800年前の王とグリード達の手によって、人類は滅亡の危機に瀕していたのだ。比奈や信吾、知世子、後藤、伊達、里中ら良く知る面々は、レジスタンスとして必死に闘いを続けていた。全く変わってしまった世界で映司と再会するアンク。しかし、彼の雰囲気はどこか変わっており────

 

 

まず、半年前の映画祭で予告を見た時にも驚いたのは、「800年前の王の復活により荒廃した世界」という大胆な設定だ。まるで『劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』を彷彿とさせる思い切った世界観を、本編と地続きの世界として提示されるとは思っても見なかった。圧倒的な力で人間達を捩じ伏せる王とグリード達。映司は王に敗北し、少女を庇って重症を負い、そのまま行方不明。アンクの知る平和な世界とは似ても似つかぬ現在だ。

 

「アンク復活」という大目玉は、最終回の映像と共に冒頭で軽く触れられるに留まり、切迫した現在によってどんどん塗り潰されていく。アンク自身も「再会に浸るのはあとだ」と流し、割って入った会長の説明を聞くや否や、すぐさまかつての相棒の元に向かう。物語は一体どこへ向かうのか。息を殺して見つめていると、そこで待っていたのは、残酷なサプライズだった。

 

再会した映司は、すぐさまアンクへ取引を提示し、要求されたアイスを寄越すなど、10年の空白を感じさせないくらいそのままの「使える馬鹿」に見えた。しかし、比奈の問いかけと、ウヴァの襲撃によって違和感が生じる。身を挺して庇った少女の所在を比奈から問われると「死んだよ。仕方なかった」とドライに切り捨て、アンクからのメダルトスを「一度やってみたかったんだ」と嬉々として受ける。何より、タトバコンボの戦闘スタイルが全く似ていない。飄々と、軽々しく、ウヴァを圧倒していく。なお、今回のウヴァはガタキリバ無双に「卑怯だぞ!」と負け惜しみを言い、コア1枚で情けなく逃げ帰るという、「ウヴァさん」を擦るためだけの美味しい役回りだった。カザリ、メズール、ガメルにももっと活躍の場が欲しかったなあ。しかしメズール様(人間態)に踏まれたい人生だっt

 

ウヴァ撃破を陰から見ていた後藤と伊達は、アンクと同じく違和感に気付く。「お前、映司じゃないな?」 あっさりと見抜かれ、正体を明かしたのは、鴻上が「映司の欲望」を餌にして人工的に生み出された新たなグリード・ゴーダだった。ゴーダムカデメダル、ゴーダハチメダル、ゴーダアリメダルら3つのコアが、瀕死の映司に取り憑いていたのだ。かつてアンクが瀕死の泉信吾に取り憑き、生命維持に一役買っていたのと全く同じ状態である。こうして映司とアンクの立場は本編と逆転し、アンクは「映司の生命を維持させるため」にゴーダを利用し、ゴーダは「巨大な欲望を満たすため」にアンクを利用する。新たに生まれた利害関係の元に、二人は歪なバディを結成したのだ。

 

このように、『復活のコアメダル』は本編の構図を巧妙に反転させながら、丁寧になぞっていく。「俺がかつて信吾に取り憑いたのと同じように、映司復活にも希望はある」と比奈に告げるアンクのシーンを、最終回に似た夜景を前に繰り広げられると否が応でも涙腺に響く。映司のスペースを残したまま二人で手を繋ぐアンクと比奈の姿には、あの時の、いやあの時以上の切実な祈りがこもっていた。「再び手を繋ぎたい」という祈りが。

 

 

元に逃げ帰ったウヴァをあっさりと吸収し、高みの見物をしていたカザリ、メズール、ガメルも簡単に切り捨て、アンク以外の全てのグリードの衣装を取り込んだ王は、さらなる力を手に入れるためにゴーダとアンクの元に現れる。「あれ言ってよ!『歌は気にするな!』って!」などと茶化しながら、余裕綽々で王に立ち向かうゴーダだが、ラトラータでも歯が立たず、すぐに変身を解かれてしまう。映司の身体を庇って王に吸収されたアンクは、内部から搔き乱すというらしい戦法でプテラ・トリケラ・ティラノのメダルを吐き出させ、メダルを受け取ったゴーダはプトティラコンボで王を撃破。こうして王は復活の謎も解けないまま、思いの外簡単に撃破されてしまった。

 

...結果論だが、もし王との闘いを長引かせていたら、もしかしたら映司の身体は快復に向かったのかもしれない。もし時間をかけて、ゴーダとコミュニケーションを取っていたら。いや、そもそもゴーダに対峙するアンクが、映司のような「使えるバカ」じゃない時点で、無理な話だろうか。

 

アンクとゴーダは、構図こそ映司とアンクの反転なれど、全く違っていた。ゴーダは、トレース元である映司が持つ「もっと力が欲しい」という巨大な欲望を、都合の良いように解釈し、王のメダルを全て吸収。仮面ライダーゴーダへ変身し、映司の身体を即座に分離して、王以上に質の悪い悪となった。交渉の余地は全くなく、映司は再び絶命の危機に瀕し、アンクは憑依せざるを得ない状況へと陥った。

 

 

最終回冒頭と同じように、映司・アンクら不在の間、悪に立ち向かうWバース。後藤ちゃんが知らぬ間にコアメダルを使った新形態に変身できるようになっていたが、その活躍はTTFCのスピンオフの方で描かれるのか、ほとんどゴーダのかませ扱いだった。ここは惜しいが、バースの扱いはほぼ本編と同じと言えばそう...。

 

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Wバースが戦う最中、映司に憑依したアンクは、まるで『仮面ライダーW』の「最後の変身」のような構図で、精神世界で映司と再会していた。そこで知る、自身の復活の真相。映司は王の攻撃から少女を庇った際、割れたタカメダルを握り締めながら「アンク復活」を願っていた。息絶える映司の掌の中で、アンクのメダルは元通りになる。命を等価交換する形で、アンクは蘇ったのだ。想像以上に純粋で強く大きな「蘇らせたい」という欲望に、アンクは絶句し、涙を流す。映司の想いを継いだアンクは、「お前がやりたいことなら」と、映司がかけた言葉をなぞるように独り言ち、タジャドルコンボエタニティに変身。そのコンボ音声には映司とアンクの掛け声が入り、「永遠」を冠するコンボとは裏腹に、「最後」を暗示しているようだった。

 

そして、ここから再び最終回の構図を反転させたファイナルラッシュが始まる。タジャドルコンボエタニティに変身したアンクは身体こそ映司だが、スタンドのように一緒に戦ってくれたのは、アンクではなく映司だった。これでもかと同じ構図をなぞることで、「映司の終末」を予感させる演出に、胸を不安が覆う。目の前では熱いラストバトルが繰り広げられているが、その細部が思い出せないほどに、映司の安否が気になって仕方がなかった。そうしてゴーダを見事撃破した後、映司はアンクの背中を押して現実世界へと戻し、分離する。駆けつけた仲間たちの元には、映司が王から庇った少女がいた。更なる「満足」を得た映司は、皆が看取る中で息を引き取った。両の手で映司の目を閉じるアンク。涙を流すアンクと比奈が遠くを見つめ、「Anything Goes! “Ballad”」と、OP映像が最後に流れる中、「いつかの明日」は幕を下ろした────

 

 

 

*****

 

 

絶句。ただただ絶句した。「いつかの明日」を公式が描くと言われた時、胸躍ると同時に戸惑いもあった。果たして「アンク復活」はどのように描かれるのか。「アンク復活」の先にどのような物語が待っているのか。全ての情報を遮断し、ドキドキしながら公開初日の劇場に足を運んだら、「アンク復活」とセットで「映司喪失」が待ち受けているなど、誰が想像しただろうか。

 

今回の『オーズ10th』が生まれたのは、元を辿ればスーパー戦隊の『10 YEARS AFTER』シリーズの功績があったからだと思う。役者側から東映に企画を持ち込み、作品へと繋げるというなかなか気力と体力のいる企画は、作品愛に溢れており一ファンとして高まったが、正統続編とはいえ「ファンサービス」の側面が強いシリーズだという感触だった。『オーズ10th』に関しても、いくら「オーズTO(トップオタ)」の渡部秀が中心で関わっている企画とはいえ、『10YA』と同じくらいの心持ちで構えた方がいいのではないか?と思いながら今日を迎えた。結論から言うと、もっと覚悟を持って臨むべきだった。こんな「逃げられない作品」が提示されるとは。これを見た時点で、もう「いつかの明日」を漠然と想像していた頃の自分には戻れない。

 

「いつかの明日」が想像と違えば、「解釈違い」と逃げることはいくらでもできると思っていた。しかし、渡部秀を始めとするチームオーズが本気で描いた「完結編」は、「正史」と認めざるを得ないほど、納得のいく結末だった。

 

Dr.真木と死闘を繰り広げたあの日、死をもって「満足」したアンクに対し、映司は「アンク喪失」という傷を負い、「満足」に至ることはできなかった。「いつかの明日」を探して旅に出た彼の物語は、「アンク復活」をもって「満足」に至り、終末を迎える。これが叶うならば、本人の命が犠牲になったとて、大したことではない。そして彼はついに「アンク復活」を叶え、追い打ちをかけるように、「少女に手が届かなかった」という後悔さえも同じ構図で達成し、「満足」してしまった。その先にもう彼の物語はない。火野映司の物語は完成してしまった。「良き終末」を迎えてしまったのだ。

 

最終回で上空から落下しながら二人が最後の会話を交わしたとき、アンクは達観し、映司は焦燥していた。今回はその逆だった。彼の利己を極めたような利他行為に、絶句し、涙を流した。ここまで感情を露わにするアンクは見たことがない。今作では映司の登場シーンは実は回想とクライマックスだけだったので、唯一の再会シーンに彼ら二人の10年分の想いが全てこもっていた気がする。「良き終末」に華を添える演出としてこれほど美しいものはない。

 

徹底した構図の反転と本編の踏襲。本編の作風を汚さないシビアな結末。『10YA』のような「ファンサービス」とは真逆の、『オーズ』という作品に真剣に向き合った末の終着点だと思う。物語の強度に、私は確かに「満足」した。

 

 

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…だが、それで良かったのだろうか?彼はその強欲を「アンクや比奈ちゃんとまた手を繋ぐ」ことまで向けることはできなかったのだろうか?

 

正直言うと、私は火野映司に死んで欲しくなかった。彼が「満足」したとしても。たとえあれが「良き終末」だったとしても。アンク、比奈ちゃんと一緒に3人で手を繋いで、アイスを食べて、笑い合ってほしかった。かつて知世子さんが比奈ちゃんにかけた言葉のように、「ちゃんと欲張って」映司もアンクも生きていて欲しかった。物語としての美しさや、良し悪しとは関係ない。これは、私の純然たる「欲望」だ。

 

物語の帰着に納得してしまう自分と、あの帰着を迎えた上で笑顔で再会する結末を見たかった自分。まるでDr.真木と鴻上の論争のように、相反する欲望が自分の中でぶつかる。「見届けられて良かった」というより、「もう後戻りできない」という苦悶が脳を侵す。オーズの民達はこれをどう受け止めたのだろうか。私はまだこの映画を鑑賞していない人たちに向けて、「絶対に観た方がいい」と声をかけてあげたいし、「絶対に観ない方がいい」と突き放したくもある。様々な相反する二つの感情が激しくぶつかり合っている。こんな鑑賞体験はなかなか無い。

 

 

「アンク復活」と引き換えに「映司喪失」という大きな代償を得た私の心は、再び「満たされるものを探して」歩み続けるしかない。(きっと来ないであろう)新たな「いつかの明日」がやってくるまで、私の欲望が尽きることはない。

 

 

 

 

 

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SNSでの反応に思うことがあったので追加で書きました。

 

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