零れ落ちる前に。

その時々感じたことを、零れ落ちる前に。

『復活のコアメダル』公開から一夜明けて。

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』の公開初日から一夜明けました。昨日は新宿バルト9の二本目の上映で鑑賞し、即座にイヤホンを耳にぶっ込んで誰かの感想にブレンドされないよう気をつけながら帰宅。すぐさま感想記事に落とし込んで、他の人の感想を読んだり聴いたりしながらぐったりしていました。思い出補正も強い作品なので、10年越しに製作された本気の「完結編」にはごっそり体力を奪われましたよ…。

 

さて、昨日「#オーズ10th」のタグを中心にTwitterを眺めながら、各々の反応についてちょっと気になることがあったので、自戒のためにも書き留めておきたいと思います。

 

※作品のネタバレが少し含まれていますのでお気をつけください。

 

 

exloyks.hatenablog.com

 

 

 

納得する/しないを強要してはいけない

 

『復活のコアメダル』は作品の性質上、賛否が大きく割れました。一見「賛」が多く見られますが、強い言葉で「否」を表明している人もおり、近年のライダー映画の感想ではなかなか見られないような反応になっている印象です。やはり10年振りの完全新作であること、「完結編」と銘打たれたこと、そしてクライマックスの展開が左右しているのでしょう。制作陣と役者も「賛否は覚悟の上」とわざわざ表明するという異例の事態となっています。

 

「賛」の人も「否」の人も、各々の『仮面ライダーオーズ』に対する解釈を表明する形で、それぞれの感想を記しています。しかし、気になるのは、それらの感想に対してわざわざ反論する人です。

 

 

「『オーズ』という作品はこうなのだから納得しなければならない」

「この作品に納得している者は真の『オーズ』ファンではない」

 

 

はっきり言って、そんなことは絶対にありません。感想に正しいも正しくないもありません。「賛」も「否」もそれぞれの尊重されるべき感想で、土足で踏み荒らしてはならないものです。10年前の『オーズ』本編、その後の『オーズ』の客演展開、そして『復活のコアメダル』までの間、様々な要因によって一人ひとりの『オーズ』観が形成されており、それは多種多様です。「真に正しい『オーズ』の受け取り方」などというものは存在しません。「納得」する/しないことを他者に強要し、作品評価を固定化してしまうことは、制作側の熱意さえも裏切ってしまうことになりかねません。「わかってないなあ」と思う気持ちもわからんでもないですが、わざわざ誰かにぶつけることはやめましょう。

 

質が悪いなと思ったのは、「賛否はあって当然なんだし、反対立場を否定するな」というある人のツイートに対して「否定的な人はパンフを読めばきっと見方がわかる」みたいなことを言ってる人。話聞いてますか?「きっとわかる」と譲歩している風に装っているが、それは納得の強要だし、否は否で尊重してください。互いに「反対立場の意見も知りたい」というスタンスでいるなら話は別ですが、そうじゃない人達に向かって投げかけるのはちょっと違うぞという。

 

先日話題になっていた『大怪獣のあとしまつ』に対する反応もですが、「賛」も「否」も互いに尊重されるべきで、いくら反対立場の意見を潰したいからといって、「監督の過去作を知らないくせに否定するな」とか「特撮のいろはも知らないくせに肯定するな」とか、互いの意見を尊重し合う前に殴り合うのはもうやめにしませんか。

 

また、今回の感想の割れ方は解釈戦争のみが要因と思われがちですが、「解釈が合っていても感情としては受け入れられない」という人もいます。私もどちらかというとそうです。上で「賛」か「否」かと書きましたが、「賛」の中にも「否」の中にもグラデーションはあります。「お前はどっち派なんだ」という不毛な表明合戦にならないようにも、一応付け足しておきます。

 

 

あなたの感情はSNSに塗り潰されてはいけない

 

とはいえ、反対立場の意見が多かったり、強めの言葉を使っていたり、比較的フォロー数の多いアカウントが「『オーズ』はこうである」など自分と異なる意見を発信していたりすると、モヤモヤしてしまう気持ちはわかります。Twitterを見れば見るほど、元々抱いていた自分の感想はおかしいのではないか...と、SNSに塗り潰されてしまいそうになることがあります。

 

どろっとした感情に支配されそうになったら、SNSを閉じた方がいいです。私も『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』の鑑賞後、その受け入れ難い内容に唖然とし、「非難一色やろな…」と思ってTwitterを開いたら、むしろ絶賛一色で、そんなタイムラインを目にしていると「自分は平成ライダーを愛してなかったのではないか…」という自己嫌悪に陥ってしまいました。今なら言えますが、絶対にそんなことないです。私には私なりの平成ライダー観があり、大多数と意見が違ったとしても、それは否定されたことにはなりません。そういう意見は見ないようにして(まあこれが難しいんですけども)、自分の気持ちをブログや日記などに落とし込むなどした方が、自分の感想を大事にできますよ。自分の場合、多数派の感想によって自分の感想がブレンドされてしまい、後から振り返った時に「観終わった後どんな感想を抱いたっけ...?」とわからなってしまわないように、ブログや日記を使ってます。

 

それと、Twitterは多数派が可視化されるように思われがちですが、それはSNSのシステム上そう見えるだけで、RTやいいねが多いツイートが多数派の意見というわけではありません。必ずしも同意したからRTやいいねを押してるとは限らないし、フォロー数/フォロワー数が多い人だから多く見えるだけだったりします。数の力に惑わされないようにしましょう。

 

 

「正史」かどうかは各々が決めていい

 

最後に作品そのものに関する話を少しだけ。私は昨日上げた感想に以下のように書きました。

 

「いつかの明日」が想像と違えば、「解釈違い」と逃げることはいくらでもできると思っていた。しかし、渡部秀を始めとするチームオーズが本気で描いた「完結編」は、「正史」と認めざるを得ないほど、納得のいく結末だった。

 

いくら受け入れ難くても、「正史」としなければならない。この作品に込められた熱意を受け、そう思いました。しかし、昨日色々な人の反応を読んで、「作品自体は本編で終わっているんだし、『小説オーズ』や『平ジェネFINAL』等と同様に、「正史」とするかどうかは自分で決めていい」と思うと心が軽くなりました。もし同じように縛られている人がいたら、受け入れがたいと思っている人がいたら、逃げてもいいんだよ、と思い記しておきました。

 

まあ正直自分もまだ全然整理がついていないので、『オーズ』本編を見たら「最終的には『復活のコアメダル』に行きつくんだよな...」とか「『MOVIE大戦MEGAMAX』がもし『復活のコアメダル』の後の時間軸だったとしたらつらいな...」とか考えてしまうと、なかなか切り離すことができていません。そもそも『復活のコアメダル』自体の評価もまだ全然できていないし。

 

でも、「無理してでも受け入れる必要がある」という固定観念を捨てるか捨てないかでは、気の持ちようは変わってくると思います。私はこのスタンスで、今後も『オーズ』及び『復活のコアメダル』と付き合っていきたいです。

 

 


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『復活のコアメダル』、聞くところによりますと、全国の映画館で長い入場列ができるほど賑わっていたようで、風の噂で聞いた初日の動員数も好調と、Vシネクストシリーズの中でもかなり良い滑り出しだったようです。自分の映画館も朝から夕方まで「△」表示でしたし、帰りのエレベーターまでも人だかりができるなど、ライダー映画ではなかなか経験しない熱狂ぶりでした。10年経っても愛され続ける『オーズ』というコンテンツの強さを目の当たりにし、何だか一視聴者として誇らしくなりました。だからこそ、あの上映終了後のえもいわれぬ劇場の空気感と、自分の胸に抱いたモヤモヤは大事にしておきたいと思います。この気持ちを尊重した上で、役者陣のトークや舞台挨拶など、裏側の発信も少しずつ咀嚼していきたいと思っています。上で反対立場の意見に塗り潰されてはならないという話をしましたが、役者陣や制作陣の意見だって「絶対」ではないですから。確かに「公式」ですけど、彼らは彼らなりの『オーズ』愛をつぎ込んでいるし、私たちも私たちの『オーズ』愛を表明すればそれでいい。傷つけ合わずに、愛していきましょう。