零れ落ちる前に。

その時々感じたことを、零れ落ちる前に。

感想『GARO -VERSUS ROAD-』 新生牙狼への違和感と、斬新な結末から抱いた今後への期待

2005年に始まった『牙狼』シリーズも今年で15年目。15周年記念作として制作された『GARO -VERSUS ROAD-』は、題字に「牙狼」という字が当てられていないところからわかるように、これまでとは一線を画する世界観を見せてくれました。

 

その大きな違いとは、「最後まで牙狼が登場しない」こと。黄金騎士・牙狼を中心に様々な魔戒騎士が登場し、人々を魔獣・ホラーから守るという鉄板パターンが『牙狼』シリーズでは脈々と受け継がれてきました。冴島鋼牙シリーズ、道外流牙シリーズ、冴島雷牙シリーズのどの作品でも、テイストが変わろうとも必ず踏襲されてきた王道を、15年目にしてついに踏み外したのです。

 

末席の牙狼ファンとして、この路線には期待半分、不安半分でした。掟破りの特撮作品はこれまでも沢山視聴してきたのでテーマそのものに対する抵抗感は少なめ。しかし、この破壊的行為をよりにもよって『牙狼』シリーズでやるということ。実行するのが15年目であるという事実。不安がないわけがありません。

 

そんなモヤモヤを抱きながら視聴した結果はというと、正直、最初と同じ割合の感想。高評価と低評価が半々。複雑な思いを抱きながらも、辿り着いた結末は面白かったし、『牙狼』シリーズの中で挑戦することには、確かに意義を感じる作品でした。

 

苦々しい感想にはなりますが、この自粛期間中、大いに楽しませてもらったのは嘘ではないですし、肯定も否定もすべてまるっとここに記したいと思います。

 

 

 

 

牙狼が現れないことに対する興味深さとストレス

 

今作の一番の強みは、最後まで牙狼*1が登場しない点。謎のVRグラスによってVR空間に集められた100名の一般人が、ガロの鎧を手にするために殺し合いを行うという、いわゆるバトルロワイアル的作品です。

 

100人の中から鎧を手にすることができるのはたった1人だけ。日々の社会にストレスを感じた参加者たちは、鎧を手にするためという目的だけでなく、ストレス発散のために自由に殺し合います。だってここはVR空間だから。しかし実情は、VR空間での死=現実世界での死に繋がり、真の意味での殺し合いでした。文字通り命賭けの戦いは、シビアなものになっていき、各々が信念をもって激しくぶつかり合っていく......自分で書いてて、これは牙狼じゃなくてデスゲームものの別作品では?と疑ってしまうくらいに、手垢のついたオーソドックスな筋書きです。

 

このように物語は進んでいくため、ガロに変身する機会は本当に最後まで訪れず、魔戒騎士さえ一切登場せずに、生身オンリーの熾烈な殴り合い、蹴り合い、絞め合いが繰り広げられるのです。特撮作品においてはかなり特殊な在り方に、興味深さと、一方でストレスを抱きました。

 

 

興味深さを感じたのは、『牙狼』だからこそ牙狼を出さずに描けた、という点。バトロワ的な特撮作品には、『仮面ライダー龍騎』という特オタなら誰もが知っているであろう前例があります。ライダーになれるカードデッキを与えられた男たちが、自らのエゴに塗れた願いを叶えるためだけに、最後の1人になるまで戦い続ける。今作は『龍騎』からカードデッキを奪い、ライダーではなくし、生身の男たちに願いを掲げて戦わせたのと同義です。

 

しかし、仮面ライダーは販促が絡んできます。カードデッキ、変身ベルト、各ライダーのフィギュア。そういった売り物を絡めた作品つくりになるため、最後までライダーを出さないという選択は最初から不可能。しかし、牙狼シリーズの場合は、ターゲットが子供ではないため、販促が一切必要ない。玩具の販促が絡んでこないシリーズだからこそ、最後まで牙狼を戦わせないという大胆な選択ができたのです*2

 

 

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このような視点から見れば革新的でしたが、シリーズをこれまで楽しく追いかけてきているために、「ガロを装着するのが楽しみ」という気持ちに悪い意味で付きまとわれたというのが本音。鎧が画面に映るたびに、「まだなのか?」と焦る気持ちが次第にストレスに変わり、正直耐え切れませんでした。その思いを覆すほどの最終回だったかというと、爆発的とは言えませんでしたし。いち特撮番組として、どうしてもストレスに感じることが多かったと思います。

 

 

牙狼流アクション×一般人を描く難しさ

 

そんなストレスを抱きつつも、男たちの正義がぶつかり合う普遍的な物語と捉えれば、なかなか楽しめました。空遠と星合の友情。天羽と奏風の拳でのみ分かり合えるヤンキー映画的な関係性。承認欲求とともに内なる狂気が爆発していく貴音の心理描写。真実を暴こうとする内に善性が見え始める南雲の人物像。各キャラクターの交わりは興味を惹きましたし、空遠と天羽のラストバトルは両者とも逝かないでほしい、と祈るような思いでした。感情移入はしやすかった。2号ライダー好きの性なのか天羽推しでした。

 

しかし、物語にのめり込めばのめり込むほど、牙狼流アクションとの噛み合わせの悪さがノイズになってしまいました。

 

例えば、天羽や奏風、日向が並外れた身体能力を発揮するのならわかります。貴音がスペツナズナイフを片手に素早く切り裂くのも、まあギリギリ納得できます。しかし、空遠や南雲、その他一般人があのようなハイスピードバトルに順応している絵面は、どうもキャラクターとの整合性が取れず、違和感が勝ってしまうのです。

 

「この空間では常人よりも強い身体能力が得られる」という朱伽の説明がありましたが、身体能力の差は現実世界とあまり変わらず、「望めば望むだけ力が手に入る」ということでもなさそう。VR空間での戦闘力はどうやって決められているのか今一つ掴み切れないまま、絵面の違和感ばかり目に入ることが多くなっていきました。

 

このわかりづらさが勝ってしまった理由として、第1話の空遠vsホストのシーンが個人的には致命的でした。現実世界、星合にゲームで負けた腹いせに恫喝にしたホストが、助けに来た空遠に返り討ちに合うシーン。この時の両者の殴り合い、特にホストの連続パンチに「こんな戦い方するか......?」と違和感。その後のVR空間での戦闘が、ややグレードアップした喧嘩くらいに感じてしまって、その感触を最後まで引き摺ってしまったのでした。

 

魔戒騎士同士の戦いなら、「こいつら全員プロの戦士だしな」という前提で受け入れているから、アクロバティックな戦闘カットが興奮に繋がる。しかし、一般人同士の戦いに牙狼流のアクションを合わせる手法は、これまでのシリーズでは無かった分、視聴する際のテンションの持っていき方が難しい。『牙狼』シリーズを飛び出そうとして、シリーズの足枷に雁字搦めになってしまった、という印象です*3

 

 

ヒーローは誕生しない

 

ここまでマイナスな感想多めに語ってきましたが、物語の落しどころは、作品単体としても、シリーズを通しても、真新しく斬新だったと断言しておきたいです。

 

ガロの称号を受け継ぐ者を決めるこのVRゲームは、主催者の葉霧が仕組んだ出来レース。誰か1人が勝利したとしても、膨大な陰我で「ベイル」を完成させることが最終目的であり、かつてガロに成ることを欲した葉霧の歪んだ欲望が生んだゲームだったのでした。

 

第9話、葉霧の過去篇で物語の根幹が明かされた時、正直ホッとしました。「ああ、いつもの牙狼だ」。かつて正義のヒーローを志した騎士見習いが、闇に堕ち、悲劇を起こす。魔戒騎士という職業の困難さ故に、歴代のシリーズではあらゆる闇堕ち騎士が登場してきましたし、葉霧も同様の鉄板敵役でした。

 

最悪だったのは、止めることができない魔戒騎士がいなかったことと、そもそも士導院がクソ村だったこと。99人分犠牲にしてやっと剣を抜かせるとか何を思って考えたのか......。ずっと空中に浮いているガロくん、まともに選ばれたかっただろうに......。これまでの世界との繋がりはわかりませんが、鎖国的故に助けが来ず、葉霧自身も効率的にベイルを生み出す方法を知らなかったため、今回の悲劇が生まれてしまったんですよねきっと。

 

そしてこの悲劇を乗り越えるのが、生き残った空遠。彼の意志に導かれ、ガロの鎧は砕かれたはずなのに、牙狼の剣が出現する。ヒーローと認められた空遠は黄金の鎧を身に纏い、バーチャル空間でベイルを撃退します。この際に空遠が死んでいった奴らの技を使うのは熱かったですね。ファイティングポーズや関節技を決めるガロはややシュールでしたけども。

 

ここまでは王道。ヒーロー誕生物語です。しかし、本当の魔戒騎士達を知らない一般人の空遠が取った選択。それは、「ガロにならない」ことでした。

 

 

「ガロとして生きるわけじゃない」

「俺が死ぬことは許されない。だから、ただ生きる」

 

 

巻き込まれてしまったとはいえ、人を殺めてしまい、親友も救えなかった。目の前でたくさんの人間が死にゆく姿を目にしてきた。そんな彼が新たな使命を持ち、立ち上がることなどできるはずもなく、十字架を背負って「ただ生きる」。この空遠らしい選択と、ヒーローが誕生しないという衝撃の結末に、『牙狼』シリーズの新たな一歩を見ました。

 

血塗られた剣に背を向けて、雪道を一歩一歩歩いていく空遠。この物語の先は視聴者の想像に委ねて、一切の続編を作らないでほしい、と切に願います。それは決して『GARO -VERSUS ROAD-』を黒歴史にしたいという意味ではなく、空遠の選択に泥を塗ってほしくないからです。天羽達が生きた証を胸に焼き付け、全てを背負って生きていくだけでも、ただの大学生にとっては重荷。そんな彼にヒーローの役目を更に背負わせることに、意味はありません。牙狼は目的ではなく手段であり、剣をふるうのは誰かを守りたいという強い意志を持つ「守りし者」だけで良いのです。*4

 

 

「ヒーローは誕生しない」。そんな物語を新たに創った『牙狼』シリーズは、15年の先にどんな道を拓いていくのか。冴島家シリーズも、流牙のシリーズも、一通りの結末を迎えましたし、『-VERSUS ROAD-』 のように革新的な新作を生み出す方向に向かうのかもしれません。固定概念が染みついている故に、今作を見た私のように否定的な意見もたくさん出ると思いますが、その固定概念を覆してくれるくらい爆発的に面白い作品を創造してほしい。そんな期待を抱いて、一ファンとしてこれからも付いていきたいと思います。

 

 

 

 

*1:今作では黄金の鎧のことを「ガロ」と書くため、その鎧について触れる場合は「ガロ」、シリーズ全体の、概念的な牙狼について触れる際は「牙狼」と書きます

*2:龍騎』の発想に影響を受けつつ、最後まで主役を変身させない作品といえば『魔法少女まどか☆マギカ』。しかしまどマギの場合は、変身できたのに変身しなかったパターンなので構造的には異なっています。

*3:とはいえ、アクション監督がこれまでと全く異なる方なので、同列で語るのは危うい。『牙狼』シリーズの監督については雨宮さんと横山さん以外あまり詳しくないので、この辺りについては詳しい人に任せます。お2人が演出してたらまた変わったのかな。

*4:「死んだ者たちの意志を守って生きていく」という意味では空遠も「守りし者」になったといえるかも。