零れ落ちる前に。

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King Gnu『CEREMONY』レビュー 熱狂と孤独が同居する嘘偽りない真っ直ぐな作品

2019年、破竹の勢いでスターダムをのし上がり、邦楽ロックバンドの頂点にまで上り詰めたKing Gnu。私も例に漏れず、彼らのシンパとなり、彼らの音楽に傾倒していった。昨年1月に発売された2nd Album『Sympa』はもう何度聴いたかわからない。アルバムとしての完成度が高すぎて完全に惚れこんでしまった。ボーカルの井口による『King Gnu井口理のオールナイトニッポン0』も毎週欠かさずタイムフリーで聴いているし、いつの間にかメンバーそれぞれの人柄にも愛着が湧いてきたところだ。

 

King Gnuは年末の音楽番組でも引っ張りだこだった。カリスマ性の高いロックバンドだから、お茶の間で演奏するのはためらうタイプだと勝手に思っていた。しかし、Mステ、ベストアーティスト、CDTV紅白歌合戦...と代表的な番組を総なめし、次々と群れを増やしていく。戦略も長けている集団だったからこそ、ここまで上り詰めたのかもしれない。

 

メディア出演で面白いのは、「生演奏で出演」を絶対の条件としていた点だ。ヒット曲として何度も演奏された「白日」は一度も音源と同じアレンジをしなかった。大抵の歌番組が行っている「カラオケ音源を流す」ことを決してさせず、彼らの信条を曲げずに突き通したのである。バンドのメディア展開へのアンチテーゼでもあるこの行為を番組側も許したところに、日本の音楽シーンに一筋の光を見た気がする。

 

そして今最も注目されている時期に満を持してリリースされた『CEREMONY』。ヒット曲が溢れかえった2019年の楽曲達を作品としてどう再構築したのか。何をテーマにした"儀式"なのか。期待に胸を躍らせながら、再生ボタンを押した。

 

 

 

 

 

高らかに鳴り響くファンファーレで華やかに幕開けたセレモニーの『開会式』。『Sympa』でも「Sympa Ⅰ」~「Sympa Ⅳ」というインタールードが挟まれていたのと同様、今作も3つのインスト曲が収録されている。この3曲があるとないのとではアルバムの表情がかなり変わってくると思うし、「コンセプトアルバム」として圧倒的に正しい在り方だ。シャッフル再生が主流となった今の時代に「アルバム」として音楽を残すことを大切にする姿勢は非常に好印象である。

 

ファンファーレが鳴り響く会場はホールかアリーナか、はたまたスタジアムか。個人的にはスタジアム級の巨大な会場がしっくりきた。ちょっと前までライブハウスで叫んでいたのに、たった1年足らずでここまで巨大な会場に立つことになった彼らを想像すると、まるで会場にいるかのような錯覚を覚えて頬が緩む。今か今かと開幕を待ちわびる大勢の観客達に対し最初に搔き鳴らしたのは、ゴリゴリのロック曲『どろん』だ。

 

King Gnuというバンドの特徴は大きく分けて2つあると思う。1つは肉厚でアレンジが多種多様なバンドサウンド。もう1つは常田大希と井口理という全く系統の異なるボーカル同士の完璧なデュエットである。基本的には常田の天才的な作詞・作曲センスが土台となっているが、この2点によって更なる高みに到達している。

 

『どろん』はそんなバンドの特徴を濃縮し、これぞKing Gnu!と太鼓判を押したい1曲だ。歪んだギターのバッキングと共に野性的な常田の声とジェンダーレスな井口の声が交わって、心の内に溜めてきた孤独を叫び、その絶叫を勢喜・新井らリズム隊のグルーブがどっしりと構えて受け止める。そこにホーンセクションがテンション高く乗っかる。これから始まるセレモニーの開幕にここまで相応しい曲は無いだろう。あと低音フェチとしては1:52~の新井氏の歪みに歪んだベースが堪らない。NUMBER GIRLの『鉄風 鋭くなって』*1のイントロを彷彿とさせるシンプルなバッキングに血が滾る。

 

既に体はライブ中盤並に温まっているが、快進撃は止まらない。青春時代の煌きをグッと濃縮した『Teenager Forever』はまたしてもギターのバッキングとボーカルで始まるが、アコギのジャキジャキとした音色と井口の憂いを帯びた歌声には『どろん』の歌い出しと全く異なる印象を受ける。

 

「ティッティッティッティッティンネイジャァフォエェヴァア~」という歌のリフは最初聴いた時「おっ?ふざけてるのか?」と思った記憶がある。というのも、SONYのノイキャンイヤホンのCMで、この曲はAメロとサビだけが分割で公開されていたのだが、その時に抱いた印象と全然違ったからだ。このフレーズが入ることで楽曲は一気に可愛らしいものになる。最初こそこれは違うなと思ったが、いつの間にかこれが無きゃ物足りないと思うようになった。このリフこそが愛おしき「10代の永遠」を象徴しているといっても過言ではない。

 

少し脱線したが、《他の誰かになんてなれやしないよ/そんなのわかってるんだ》と井口の声でアウトプットされる切ない心情吐露と、《いつまでも相変わらずつまらない話を/つまらない中に/どこまでも幸せを探すよ》という常田の真っ直ぐな言葉に心が掻き毟られる。後半に向けて疾走し続ける楽器隊も最高にエモーショナルだ。星野源の『アイデア*2同様に大サビ前にアコースティック編成になるも、これ以上は歌わず爆速で締めに入るところとか潔くてカッコいい。

 

 


King Gnu - Teenager Forever

→PERIMETRONが手掛けるMVは『McDonald Romance』と並べて見るとエモい気持ちになる。もう財布の底が見えることはないんだな。

 

2曲かけて疾走した後に一旦落ち着くかのように演奏された『ユーモア』は、個人的に一番好きな曲だ。『Sympa』でも『It's a small world』が大好きなので自然な傾向なのかもしれない。一気に音数が減った分、個々の楽器のテクニカルな音像が見える。常田の妖艶なフレーズの数々は、ペトロールズの長岡亮介のように、ボーカルに絶妙な合いの手を入れる。井口の主旋に合わせて軽やかに鳴る木琴と、サビ前の細かいハンドクラップも、音楽へのこだわりが感じられる素晴らしいスパイスとなっている。あと再度ベースに触れるが、サビの4小節目ごとに入る上がっていくフレーズが超気持ち良い。新井和輝氏、自分の中でのベーシスト三本指にあっという間に食い込んできたぞ。

 

そして5曲目、彼らのキャリアの中で最も売れた『白日』がこのタイミングで挟まれる。ヒット曲故に曲順には相当悩まされたとインタビューで語られていたが*3、この主役級の楽曲が多い作品によく放り込めたなと思う。聴く前まではぶっちゃけ入れない方がいいのでは?と思っていたが、セレモニーの第1部を締め括る役割を担わせることで違和感なく配置されていた。昨年何度も聴いた楽曲でも、作品の一部になると表情が変わって見えて、より愛おしく感じられる。

 


King Gnu - 白日

 

レコードのA面、B面を分ける役割を持つ第二のインタールード『幕間』は、ステージ上でバンドがセットの転換をしている間、再開を待ち侘びる観客達の心をチルアウトさせるかのように、美しいストリングスの旋律が響き渡る。『どろん』~『白日』までの流れから心機一転、一気に高揚感を高めるスローテンポの4つ打ち曲飛行艇がオーディエンスを更に沸かせる。

 

『白日』のヒットの後に日本じゃウケづらいジャンルの楽曲をリリースした時は驚嘆したが、その強気の姿勢がこのバンドの熱量を保ててるのだろうな、と今回聴いて改めて感じた。《果ての無いパーティを続けようか》《大空を飛び回って/命揺らせ 命揺らせ》とポジティブな歌詞はバスドラが一定で刻み続ける力強いリズムに乗せて届けられ、私達の命を揺らす。今のところチケット争奪戦に負け続けて一度も単独ライブに行けていないが、もしスタジアムで見ることが叶ったら『飛行艇』を一番に聴きたい。大サビの転調で拳を高く突き上げたい。

 

熱狂的なステージにこのまま最高潮まで到達するのかと思いきや、ここから作品の表情は徐々に変化していく。A面でも所々顔を出していた正直な孤独が顔を出し始めるのだ。『小さな惑星』は皆が普遍的に感じているであろう「決まった日常への閉塞感」を詩的に歌い上げる。《酸素が足りずに今日も/産声を上げているんだ》《結局何処へも行けやしない僕らは/冬の風に思わずくしゃみをした》と歌う井口の美しい声は切なく、しかし爽やかだ。その爽やかさを引き立てるバンドサウンドも非常にメロディックで、『ユーモア』同様軽やかな木琴の高音が、ロックサウンドをポップに彩る。楽曲の明るさと詩の閉塞感が違和感を生み、『CEREMONY』の全容を紐解くのに重要な役を買っていると思う。

 

 


VEZEL TVCM「PLAY VEZEL 昼夜」篇

 

続く『Overflow』は前曲とテンポが近く、世界観が地続きになっているように感じる。《如何しようも無い今を愛していた/なんて戯言を言っていたい》というフレーズは『Teenager Forever』の頃とは変わってしまったかのようで、現実の厳しさを突き付けられて胸が締め付けられる。ロックバンドが初期衝動で歌う楽曲のようでありながら、非常にグルービィーで、安定感のあるドラムとワウでエフェクトがかったベースは五臓六腑に響き渡るのである。

 

そしてアルフォートのCM曲、『傘』。この曲については、配信リリース当時自分が敬愛しているブロガーさん方のレビューが面白かったので引用させてほしい。

 

 彼らの楽曲には非常に「不健康」なイメージがあって。他にも連想されるワードを並べていくと、「アンモラル」「湿気」「セクシー」「雨音」「不貞」「しみったれたラブホテル」「無精ひげ」「洋酒」「煙草」・・・。で、個人的にこれら全てを兼ね備えたのが『Vinyl』なんですよ。なので、自分の中ではこれがずっと不動の一位で。

(中略)

『傘』も、『Vinyl』と同じで見事な「全部乗せ」なんですよ。いや、むしろ乗せ成分はこっちの方が上かもしれない。自分がKing Gnuに感じてた要素の数々、これでもかと全部乗せ。つゆだく。だっくだく。

ダメだよKing Gnu、新曲『傘』さぁ、こんなの・・・ こんなのリリースしちゃダメだよ・・・ くっそ・・・ - ジゴワットレポート

 

最も恐ろしいのは、これだけ若い奴らが狂うほど好きな最先端のオッシャレーな曲なのに、実際フタ開けてみると『3年目の浮気』『男と女のラブゲーム』『別れても好きな人』然り、ジジイババアが慣れ親しんだデュエット歌謡曲のエッセンスもバキバキ踏襲してる抜け目なさ。「人類ウシ化計画」完全に始まった。

まさに「今日生まれた赤ん坊から明日死にゆく老人まで届く」無敵のポップソング。天気関係なく一生聴いていたい。

King Gnu最高傑作『傘』フル感想 - kansou

 

「不健康」でカリスマ性に溢れたバンドが「デュエット歌謡曲のエッセンス」をたっぷり含んだ楽曲『傘』。ロックサウンドが続く作品の中でこの曲を最後に配置するところが本当に"理解ってる"しズルい。ズルすぎる。『小さな惑星』『Overflow』『傘』のいずれも普遍的な日常を切り取っており、共感性を生む。その流れはサウンド面でも同じで、日本人の誰しもが慣れ親しんだポップスに、ひっそりとしかし戦略的に寄せていく。こんなことされたら惚れざるを得ない。

 

非日常的なスタジアムで大歓声のもと熱狂していたと思ったら、いつの間にか孤独な日常にステージが変わっている。それに気付いた所で、目の前に1台のピアノが置かれ、スポットライトが静かに照らされる。そこにポツリと座る男が、暗い背中で孤独を歌い始める。そんな情景が浮かぶ『壇上』は、このアルバムのゴールであり、これが無かったら作品として成り立たない程重要な一曲である。この曲を思い付いたのが〆切の1週間前だというから驚きだ。土壇場で出来た楽曲だからこそ、常田自身の人となりや心の内が嘘偽りなく綴られているのだろう。

 

King Gnuを知った時、そのカリスマ性に平伏し、痺れながらも、「この人達と同じステージにはいられないだろうな」と距離を感じていた。しかし、この曲で歌われる深い孤独は自分のことのように泣けてしまうのだ。素直すぎる心情吐露を恥ずかしげもなく吐き出す彼の姿に、胸が締め付けられてしまうのである。

 

そう、彼らはカリスマ性の高い近寄りがたい孤高の存在に見えて、その実誰よりも前向きで実直で熱い男たちなのである。だからこそ、突き放されずクルーとなる者達が続々と増えている。『CEREMONY』リリースにコメントを寄せた著名人には、気志團綾小路翔ポルノグラフィティ岡野昭仁スカパラ谷中敦らといった意外な暑苦しい人選をされていたが、彼らの鳴らしたい音楽と、根本の精神性が一緒だからこそ、共鳴したのだと思う。熱狂を生みながら、孤独を伝えるという二面性は、その精神性から生まれる。

 

『壇上』の独白で孤独と弱さを見せたバンド、King Gnu。彼らのセレモニーは最初の印象と180度異なる寂しい結末に辿り着いた。熱狂する観客の前で響く寂しげなチェロと暗く歪んだギター。『閉会式』は想像だにしないカオスな終着点である。だが、『CEREMONY』で見せたかった景色は、これで正しいのだ。

 

着実にではなくひと思いに頂点へ駆けあがったバンドが作る作品は、ひたすらにぶち上がる楽曲勢揃い!というような内容でも良かったはず。にもかかわらず、ミニマルな人間の孤独を正直に描き、熱狂と同居させる形で結論に持ち込んだ。この実直さこそが、彼らに付いて行きたくなる所以なのだ。King Gnuに対して「近寄りがたい」と思っている人も是非手に取ってほしい。

 

2020年代の新時代、彼らは私達にどんな景色を見せてくれるのか。これからの展開に期待せざるを得ない。

 

 

CEREMONY (通常盤) (特典なし)

CEREMONY (通常盤) (特典なし)

CEREMONY (通常盤) (特典なし)

 

 

 

*1:やっぱりライブバージョンを貼りたくなる。

*2:大サビ前のしっとりとした弾き語りは何度聴いても最高。

*3:

natalie.mu